身体に対する罪

ここでは、身体に対する侵害(など)である、傷害罪、暴行罪、危険運転致死傷罪、凶器準備集合罪、過失致死傷罪、単純遺棄罪、保護責任者遺棄罪などについて扱います。

この講座は、刑法 (各論)の学科の一部です。

前回の講座は、生命に対する罪、次回の講座は、自由に対する罪1です。

傷害の罪

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傷害の罪は、他人の身体に対する侵害を内容とする犯罪であり、身体に対する罪とも言われます。その保護法益は人の身体の安全であり、刑法は、傷害罪(204条)、傷害致死罪(205条)、現場助勢罪(206条)、暴行罪(208条)、危険運転致死傷罪(208条の2)、凶器準備集合・結集罪(208条の3)を定めています。また特別法上では、集団的暴行罪(暴力1条)、常習的障害・暴行罪(暴力1条の3)、集団的傷害・暴行請託罪(暴力3条)、決闘罪(決闘に関する件2条、3条)、火炎びん使用罪(火炎びん2条)などが定められています。

暴行罪

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208条は暴行罪を「暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときは、2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する」と定めています。この暴行罪の保護法益は、人の身体の安全です。

刑法上の暴行は多義的ですが、本罪でいう暴行とは、人に対する直接・間接の不法な有形力の行使と考えられており、これを狭義の暴行といいます。これは、本罪が人の身体の安全を保護法益としていることから導かれます。また有形力とは、物理的な力のことです。

刑法上の「暴行」には以下のものがあります。

最広義の暴行
人に対するものか物に対するものかを問わず、不法な有形力の行使のすべてを含む(内乱罪や騒乱罪など)。
広義の暴行
人に対する直接・間接の有形力の行使であり、人の身体に対して加えられるか物に対して加えられるかを問わない(公務執行妨害罪、強要罪など)。
狭義の暴行
人の身体に対する直接・間接の有形力の行使をいう。
最狭義の暴行
人の犯行を抑圧するに足りる程度の人または物に対する有形力の行使をいう(強姦罪や強盗罪など)。

208条の規定から、暴行は傷害未遂を含むものと解されています。

そこで、結局暴行罪とは、傷害の未遂と言えないような物理力の行使であっても、それが直接人の身体に加えられればすべて本罪にいう暴行であり、また逆に身体に直接有形力が加えられなくても、傷害の結果発生の具体的危険を生じさせる行為であればその行為は暴行罪となると考えられます。

そして、判例では、物理力の行使については、人の身体に接触した場合には傷害の危険を欠くものでも暴行であり(例えば人の身体に塩を投げつける行為など)、また傷害の危険があれば、人の身体に接触しなくとも暴行である(例えば石を投げたが当たらなかった場合など)と解しています。

もっとも、少なくとも相手の五感に直接・間接に作用して不快・苦痛を与える性質のものであることが必要ではあると考えられます。

また、このような暴行の概念では広範に過ぎるとして、物理力に傷害の危険を必要とする見解や、人の体に接触する、あるいはその効果が人に及ぶことを必要とするとの見解も多く主張されています。

(参照 w:暴行罪

傷害罪

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傷害罪は204条において、「人の身体を傷害したものは、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」と定められています。

客体
自己以外の者、すなわち他人の身体である。自傷行為は本罪には該当しません。
行為
人を傷害することです。傷害の結果が発生しなければ本罪には該当しません。つまり、傷害罪は結果犯です。傷害の方法については、有形的方法と無形的方法(例えば嫌がらせ電話を掛け続けることなど)によるとを問いません。

もっとも傷害の意味については、以下のような見解の対立があります。

  • 人の生理的機能に障害を加えることとする見解(生理的機能障害説)。
  • 人の身体の完全性を害することとする見解(完全性毀損説、身体完全性侵害説などとされます)。
  • 人の生理的機能を害すること並びに身体の外形に重要な変更を加えることとする見解。

暴行罪と傷害罪

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傷害の未遂を処罰する規定はありませんが、有形的方法による傷害の未遂は暴行罪を構成することがあります。一方、無形的方法による傷害の未遂は、暴行罪には該当しません。

これに対し、暴行のつもりで行為を行った場合に、相手が傷害を負うこととなった場合については、傷害罪についてどのように考えるのかが問題となり、傷害罪の故意の内容については、以下の見解が主張されています。

  • 傷害罪を結果的加重犯と解し、傷害罪の故意は暴行につき認識があれば足り、傷害については認識がなくともよいとする見解(結果的加重犯説)。
  • 暴行の故意があるにすぎないのに傷害の結果について責任を問うのは責任主義に反するとして、暴行罪と過失傷害罪の観念的競合とする見解(故意犯説)。
  • 有形的方法による傷害の場合には暴行の故意をもって足りるが、無形的方法によって傷害の結果を生じさせた場合には傷害の故意を必要とする(折衷説)。通説。

故意犯説のように考えると、確かに責任主義に適ったものとなりますが、暴行の意思で傷害結果が生じた場合に過失傷害罪とするしかないこととなりますが、そうすると暴行罪よりも刑が軽くなってしまい、刑の権衡を失するとして批判されます。また、208条の文言「暴行を加えたものが人を傷害するに至らなかったときは」からしても、暴行を加えた場合に傷害の結果が発生すれば、傷害罪となるものと考えられます。ただ、このような208条の規定などから結果的加重犯と解するとしても、これは暴行については傷害結果を生じさせる場合が一般的であるという暴行行為の性質から認められるものであり、暴行以外の無形的方法による場合にまで、結果的加重犯であるとすることはできないとして、折衷説の立場が通説的見解となっています。

傷害致死罪

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傷害致死罪は、205条において、「身体を傷害し、よって人を死亡させたものは、3年以上の有期懲役に処する。」と定められています。

本罪は傷害罪の結果的加重犯であり、暴行または傷害の故意で人に傷害を加え、その結果として死に至らしめたことを内容とする犯罪です。

暴行または傷害という行為と、死亡という結果の間には因果関係がなければなりませんが、直接に死の結果が生じることが必要か否か、また、被害者以外の客体についての死亡によっても成立するかについては、見解が分かれます。

  • 直接に死の結果が生じる必要はなく、被害者以外についての死亡によっても傷害致死罪が成立するという見解。またこれを認める下級審の裁判例(東京地判昭和49年11月7日、判タ319号295頁。 車の幅寄せの事例です)があります。
  • 傷害の被害者が死亡した場合についてのみ傷害致死罪が成立するという見解。

現場助勢罪

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現場助勢罪は、206条において、「前2条の犯罪が行われるに当たり、現場において勢いを助けたものは、自ら人を傷害しなくても、1年以下の懲役または10万円以下の罰金若しくは科料に処する。」と定めてられています。

本罪は、傷害罪または傷害致死罪を生じさせる暴行が行われている際に、その場所で勢いを助ける行為をし、行為者の犯意を強める行為を処罰するものです。ここで、「勢いを助ける行為」とはどのような行為であるかについては、以下の説があります。

  • 現場における幇助行為を特別罪として定めたものとする説。野次馬的群集心理を考慮して、通常の幇助よりも軽く処罰するものであるといいます。
  • 幇助と区別される煽動的行為を定めたものとする説。
  • 現場での幇助及びその実行未遂形態を軽く処罰の対象とするものとする説。

現場における幇助行為を特別罪として定めたものとの見解に関しては、現場における幇助行為に限定して軽く処罰する十分な理由はないのでないかと批判されます。また、幇助とは区別される煽動的行為を処罰するとの見解に対しては、幇助ともならないような犯罪促進効果の薄い行為まで処罰する必要はないとして、批判されています。

なお、判例(大判昭和2年3月28日、刑集6巻118頁)は、本罪は、いわゆる傷害の現場における単なる助勢行為を処罰するものにして、特定の正犯者を幇助する従犯とは自ら差別の存するものあるを認むべし、としています。

同時傷害の特例

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総説

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207条は、「二人以上で暴行を加えて人を傷害した場合において、それぞれの暴行による傷害の軽重を知ることができず、またはその傷害を生じさせた者を知ることができないときは、共同して実行した者でなくとも、共犯の例による」と定めています。

これは、同時犯としての暴行による傷害についての処罰の特例を定めたものです。この規定について、以下のような見解が主張されています。

  • 207条は、個々の暴行と傷害の因果関係を推定することにより、挙証責任を被告人に転換するとともに、共同実行者でなくとも共犯の例によるとして、共同正犯についての法律上の擬制を定めたものであるとの見解。
  • 因果関係について挙証責任の転換を定めたものであり、共犯関係の存在を推定する規定ではないとする見解。

本条が適用されるためには、以下のことが問題となります。

同一人に対する暴行であること
同一人に故意に基づいて暴行を加えたという事実が必要となります。なお意思の連絡がある場合には60条の共同正犯となりますが、意思の連絡がないことが積極的要件となるのではなく、意思の連絡がない場合に本条の適用が問題となるものとされています(最判昭和24年1月27日)。
同一機会に行われたこと
外形上、数人の暴行が時間的・場所的に近接しているか、同一機会に行われることが必要ともいわれます。もっともこれについては207条をどう捉えるかによって異なり、判例(大判昭和11年6月25日、刑集15巻823頁)によれば、共同実行行為と認められるような特別の事情がある場合には、同一機会という要件を欠いても本条の適用が認められています。
検察官が証明できないこと
数人の暴行によって傷害を生じた場合において、当該障害を生じさせた者を特定できない、あるいはそれぞれどの程度の障害を加えたかについて、証明できないことを要します。

なお、擬制を合理的に根拠付けるためにも、検察官は同時犯としての暴行だけでなく、傷害の結果を惹起するに足りる暴行が行われたことについて立証することが必要とされています。

適用範囲

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同時障害の特例の適用範囲として、以下の見解の対立があります。

  • 傷害の結果についてのみ適用されるとの見解。
  • 傷害のみならず、傷害致死についても適用されるとの見解。判例(最判昭和26年9月20日、刑集5巻10号1937頁など)もこちらに立っています。

傷害の結果についてのみ限定されるとの見解は、「傷害した場合」との文言、及び、致死の結果をもたらすような重大な障害はより立証も容易であると考えられ、刑法の基本原理である「疑わしきは被告人に有利に」ということを修正してまで、検察の立証困難を救う必要はないと主張します。これに対し、傷害致死についても適用されるとの見解からは、傷害致死の場合であっても立証困難という点では同様であると主張されます。

また、承継的共犯の場合について、本条の適用を肯定する見解と否定する見解とが主張されています。

(参照 w:傷害罪

危険運転致死傷罪

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208条の2において、危険運転致死傷罪が定められており、これは、危険な運転行為であることを認識しながら危険な運転行為を行い、結果として人を死傷させた場合に、業務上過失致死傷罪とは別に、故意犯として、暴行による傷害・傷害致死に準じた罰則が適当であるとの考慮の下、平成13年の刑法改正において追加された規定です(なお、その後平成19年の刑法改正で、当初四輪以上の自動車とされていたものが、単に自動車と改められました)。

本罪の行為は、本条の1項、2項において定められる行為です。

1項の故意については、例えば1項の酩酊運転致死傷罪では、正常な運転が困難な状態であることを認識することも含まれます。もっとも、正常な運転の困難性と言う評価自体の認識は必要ではなく、ハンドル操作がうまくいかない、足がふらつくなど、正常な運転の困難性を基礎づける事実の認識があれば足りるとされています。これは、他の1項の類型においても同様です。

また、酩酊運転致死傷罪に関しては、運転時に責任能力を喪失(ないし低下)していても、原因において自由な行為として犯罪の成立が認められ得ることとなります。これについては、刑法総論の責任能力の講座を参照してください。

2項の行為について、まず、通行妨害運転致死傷罪は目的犯であり、重大な交通の危険を生じさせることの認識とともに相手の自由かつ安全な通行妨害を積極的に意図することが必要となります。また、信号無視運転致死傷罪は、「殊更に無視し」と定めており、これはおよそ赤色信号に従う意思を積極的に欠くことという、故意とは異なる主観的要素であると考えられます。

(参照 w:危険運転致死傷罪

過失致死罪・過失傷害罪

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過失行為により人の死傷の結果を惹起した場合、過失傷害罪(209条)・過失致死罪(210条)となります。過失傷害罪は親告罪です(209条2項)。また、未遂を処罰する規定はないため、未遂の場合は不可罰となります。

過失の内容については、刑法総論の過失犯の口座を参照してください。

また、加重類型として業務上過失致死傷罪(211条1項前段)、重過失致死傷罪(211条1項後段)、自動車運転過失致死傷罪(211条2項)が定められています。

ここで、業務とは判例(最決昭和33年4月18日、刑集12巻6号1090頁)によれば、人が社会生活上の地位に基づき反復継続して行う行為であって、他人の生命身体等に危害を加える恐れあるものを意味するとされています。また、積極的に危害を加えるおそれのあるもののだけでなく、人の生命・身体の危険を防止することを義務内容とする業務も含まれます(最決昭和60年10月21日、刑集39巻6号362頁)。

業務上であることにより刑が加重される根拠についての見解の対立については、刑法総論の講座も参照してください。

自動車運転過失致死傷罪(七年以下の懲役・禁固または100万円以下の罰金)は、平成19年に新設されたものであり、悪質・危険な運転行為により重大な結果が生じた事件について、適正な科刑を実現するために定められました。また、その但書において、「その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる」と定められています。自動車運転過失致死傷罪は、業務上過失致死傷罪の加重類型であると理解されます。

(参照 w:過失致死傷罪w:業務上過失致死傷罪

凶器準備集合罪

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本罪は、暴力団同士の勢力争いの対策として昭和33年の刑法の一部改正の際に新設されたものです。もっとも、実際にはその後の学生運動などにおいてよく用いられることとなりました。

本罪の保護法益については、以下のような見解が主張されています。

  • 社会法益に対する罪とする説。
  • 準社会法益に対する罪とする説。
  • 殺人・傷害・損壊罪の準備行為という個人法益に対する罪と、社会法益に対する罪との両方の性質を併有する罪とする説。判例(最決昭和45年12月3日、刑集24巻13号1707頁)および通説もこのような理解に立つものと考えられますが、学説ではより個人法益に対する罪としての側面を基本とする見解も主張されます。

加害の対象としては、個人法益における生命、身体または財産に対する罪を犯す目的に限られます。公共の平穏に対する罪としての性質上、凶器を要しないような罪を目的とする場合は含まれないと解されます。もっとも、これらに対する罪を含む限り、強姦などを目的とする場合であっても本罪は成立します。

これに対し、公務執行妨害罪などの国家法益に対する罪や放火などの社会法益に対する罪を犯す目的の場合が含まれるか否かについては、見解の対立があり、このような場合についても本罪の成立を肯定するのが通説と言えますが、そのような場合には本罪は成立しないとの見解も主張されます。

共同して害を加える目的
文言上は「共同して」と定められており、2人以上の者が共同実行の形で実現する目的であることを要するとの見解もありますが、一般的には行為者自ら加害行為を行う目的であることを必ずしも要せず、加害行為を共謀しその一部の者に実行させる目的である場合や、実行の準備を目的とする場合、実行について謀議することを目的とする場合なども含まれると解されています。また、加害の目的があれば足り、積極的加害目的である場合のほか相手が襲撃してきたとき迎撃して殺傷するような、受動的な目的でもよいとされています(最決昭和37年3月27日、刑集16巻3号326頁)。
凶器
凶器は、性質上の凶器のほか用法上の凶器も含み、その判断は、当該器具・用具を準備して人が集合した場合に、集団の加害目的の意欲の程度、携帯の態様など具体的状況から判断して、集合の段階において生命・身体・財産に危害が加えられるのではないかという不安を住民に抱かせるような危険物かどうかを基準として行うとされます。判例(最決昭和45年12月3日、刑集24巻13号1707頁)では、用法上の凶器と言うためには社会通念上危険感を抱かせるに足るものであることを要し、危険感の判断には、集合状態における当該物権自体の外観のほか、用具として利用できる転用の蓋然性を考慮して判断すべきとしています。また、暴力団員がダンプカーに乗り、同車を発進させて人を殺すため、エンジンをかけた状態にしてあった場合につき、ダンプカーの凶器性を否定した判例(最判昭和47年3月14日、刑集26巻2号187頁)があります。
既遂時期
加害目的を持って集合すれば直ちに本罪が成立します。行動加害の目的のもと統一された集合状態が続く限り社会不安を醸成するため、本罪は継続犯です。
終了時期
終了時期については、見解の対立があり、本罪の社会法益に対する罪の側面を強調する判例は、加害行為の実行開始後も準備のための集合状態は継続していると解し、その後集合体に参加した者についても本罪は成立するという立場をとるものと考えられます。
これに対し、個人法益に対する予備段階の行為を類型化した罪であるとの面を重視する学説の立場からは、加害行為の実行段階に至った時には、集合状態が依然継続していても本罪の継続はなくなると主張されます。この立場に立ては、加害行為の実行後に集合体に参加した者については本罪は成立しないこととなります。このような学説の立場からは、判例の立場は、(付和随行者について)騒乱罪と比べて単に集合だけで成立する本罪の解釈としては、刑の均衡上問題があると批判されます。

また、本罪の共謀共同正犯の成立については、これを肯定する見解と否定する見解とがあります。

(参照 w:凶器準備集合罪・凶器準備結集罪

遺棄の罪

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総説

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遺棄の罪とは、他人の保護が必要となるものを危険な場所に移転すること、またはこれに対して必要な保護を与えないことを処罰するものです。

本罪の保護法益に関しては、見解の対立があります。

  • 生命・身体の安全であるとする見解。通説的見解といえます。
  • 生命の安全であるとする見解。

生命の安全に限るという見解は、218条の「生存に必要な保護をしなかったとき」との文言などを根拠としており、またこの立場からは、身体の安全まで含むとすると、本罪の成立範囲があいまいなものとなるとの批判がなされています。

また、本罪については、具体的危険犯と捉える見解と、抽象的危険犯と捉える見解とがあります。

客体

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客体は、老年、幼年、身体障害、疾病のため扶助を必要とするもの、すなわち要扶助者となります。

扶助を必要とするとは、他人の保護によらなければ自ら日常生活を営む動作をすることが不可能、もしくは著しく困難なため、自己(の生命や身体。見解によります)に生じる危険を回避できないもののことです。扶助を要すべき状態は、老年、幼年、身体障害、疾病に基づく場合に限られます。

疾病とは、肉体的・精神的に健康を害されてる状態を言い、その原因の如何を問いません。飲酒や麻薬の使用、催眠術の施術などによって正常な意識を失っているもの、妊娠、飢餓、疲労、負傷などによって身体的に日常生活上の動作をすることができないものも含むと解されます。

また、218条は扶助を必要とするものとは定められていませんが、217条と同様に解されています。

遺棄

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217条は、「老年、幼年、身体障害または疾病のために扶助を必要とするものを遺棄した者は、1年以下の懲役に処する。」と定めており、これを単純遺棄罪と言います。また218条は、「老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、三月以上五年以下の懲役に処する。」と定めており、これを保護責任者遺棄罪と言います。

そして、遺棄の類型としては以下のようなものが考えられますが、条文上の「遺棄」に何が含むと考えられるか、問題となります。

  1. 要扶助者を従来の場所から危険な他の場所に移転させる行為(移置)。
  2. 要扶助者を危険な場所に置いたまま立ち去る行為(作為による置き去り)。
  3. 要扶助者が危険な場所に行くのを放置する行為(不作為による置き去り)。
  4. 要扶助者と保護者が接近するのを妨げる行為(接近の遮断)。

これについて、以下のような見解が主張されています。

  • 遺棄を広義・狭義に分け、狭義の遺棄とは移置(1)をいい、広義の遺棄は移置のほか、他の場合(2)(3)(4)をも含むとし、217条の遺棄は狭義の遺棄を言い、218条の遺棄は広義の遺棄であるとする見解。判例の立場と考えられており、また伝統的な通説の立場でもあります。
  • 217条の遺棄は移置(1)及び接近の遮断(4)を言うのに対して、218条はそれ以外も含むとする見解。
  • 217条、218条いずれの遺棄も移置(1)であると解する見解。
  • いずれの遺棄も作為によるものと不作為によるものとを含むとする見解。

保護責任者遺棄罪

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本罪は、行為者に保護する責任があるため遺棄罪より刑が加重されるものであり、保護責任者についてのみ成立します。

いかなる場合に保護責任が発生するかについては、刑法上明らかではなく、以下の見解が主張されます。

  • 不真正不作為犯としての作為義務の場合と同様の判断により、保護責任が認められるとする見解。通説的見解です。
  • 作為義務よりも狭く保護責任を限定する見解。継続的保護関係を中心とする保護の引き受けに基づいて、保護すべき義務を負う場合であるとするもの。

遺棄等致死傷罪

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遺棄等致死罪は、219条において「前2条の罪を犯し、よって人を死傷させたものは、傷害の罪と比較して重い刑により処断する」と定められています。

本罪は、遺棄罪及び保護責任者遺棄罪の結果的加重犯です。

遺棄の時点で殺意があった場合にどう考えられるかについて、以下の両説があります。

  • 死について故意がある以上、殺人罪が成立するという説。
  • 不作為による殺人において求められる作為義務と、遺棄の作為義務とは異なるとする説。

なお判例では、殺人罪の成立を肯定する傾向があると言われますが、殺人罪の成立を否定しているもの(最決昭和63年1月19日、刑集42巻1号1頁)もあります。

(参照 w:遺棄罪