ここでは、違法性について、及び違法性阻却事由の一つである正当行為と、超法規的違法性阻却事由、可罰的違法性論などについて扱います。

この講座は、刑法 (総論)の学科の一部です。前回の講座は過失、次回の講座は正当防衛です。

違法性 編集

違法性の客観性 編集

違法性は、形式的には法に反することであり、このような違法性のことを形式的違法性といいます。しかしこれでは何も行っていないに等しく、違法性の実質はどのようなものであるかについて議論がなされてきました。そして、違法性の理解について、まず、主観的違法論(主観的違法性論)と客観的違法論(客観的違法性論)、新客観的違法論の見解があります。

主観的違法論
主観的違法論は、法規範を命令・禁止であると理解し、その命令に従って行為できたにもかかわらずこれに違反したことを違法であるという見解であり、責任のない違法を否定して、違法性は責任能力ある者の故意・過失による行為についてのみ問題となるというものです。そこで、例えばトラが人を殺した場合、トラに対する人を殺すなという命令は意味を成さないのであって、そのトラは違法ではないと評価されます。
客観的違法論
客観的違法論は、違法性は、原則として行為者の内心とは関係なく、客観的に判断されるものであるという見解であり、この見解は、法規範を評価規範と命令規範(決定規範)とに分け、評価規範に客観的に違反することが違法であり、命令規範に主観的に違反することが責任であるといいます。そこで、例えばトラが人を殺した場合、そのトラは客観的に評価規範に反しており違法と評価されます。

以上については、現在では客観的違法論が定説となっており、違法性と責任とが区別され、責任のない違法性も認められています。もっとも、近年は客観的違法論の中でもこれを修正して、法規範は人間の行為のみを対象としており、また評価規範と決定規範は違法性と責任の双方に二重に作用しているとの主張もなされており、これは新客観的違法論(新客観的違法性論)と呼ばれます。

新客観的違法論
新客観的違法論は、法規範は法秩序に従った行為を一般人を対象として抽象的に命令・禁止しているのであり、これに客観的に違反することが違法であり、また法規範は個別具体的な行為者の意思に対して個別的な命令・禁止をしているのであって、これに主観的に違反することが責任であるという見解です。この見解によると、故意や過失などといった主観的要素も違法性に含まれることとなり、違法性と責任の区別は相対化し、また違法性判断における「客観」とは、対象が客観的なものであるということではなく、判断の基準が客観的であるということを意味することになります。そこで、例えばトラが人を殺した場合、そのトラは人でない以上命令・禁止の及ぶものではなく、違法でないと評価されます。

新客観的違法論に対する客観的違法論の立場からの批判としては、行為者の内心を大幅に客観に取り込むことで、違法性判断の客観性を担保し得ず、判断が不明確なものとなるとの主張がなされます。一方新客観的違法論の立場からは、違法性は法益侵害といった客観的事情だけで判断されるものではなく、社会倫理規範違反の面も無視できるものでないとの主張がなされます。

結果無価値と行為無価値 編集

次に、違法性の実質的根拠をどのようなものとして捉えるかという実質的違法性について、構成要件の講座でも簡単に述べましたが、結果無価値論(結果反価値論、法益侵害説)と行為無価値論(行為反価値論)の見解の対立があります。

結果無価値論
結果無価値論は、刑法は法益を保護するためのものであって、法益侵害やその危険の惹起が刑法の禁止の対象となるものであり、違法性の実質はこの法益侵害の惹起であるというものです。これは上の客観的違法論と結びつくものであって、客観的な結果が違法性判断において問題であり、行為において行為者の主観面はあくまで例外的に違法性判断において考慮される(主観的違法要素は例外的に肯定される)に過ぎないと考えます。
行為無価値一元論
行為無価値一元論(一元的行為無価値論)は、刑法は社会倫理の保護を目的とするものであって、社会倫理に反する行為が刑法の禁止の対象となるものであり、違法性の実質は行為の反倫理性であるというものです。この行為無価値一元論からは、法益侵害といった結果の発生も行為の反倫理性を判断するための考慮要素となるに過ぎないものとなります。もっとも、このような行為無価値を徹底した見解は、あまり主張されておらず、行為無価値といった場合、日本では次の違法二元論を意味します。
違法二元論
違法二元論(行為無価値論、折衷的行為無価値論)は、結果無価値に加えて、行為無価値をも考慮するという見解であり、違法性の実質は社会倫理規範に違反する法益侵害行為であるというものです。これは上の新客観的違法論と結びつくものであって、違法は客観的な判断基準で判断されるものではあるものの、単に法益侵害があるというだけでなく、その行為が反倫理性をも有している場合に違法となると考えます。

以上のような見解の対立は、違法性・違法性阻却事由の判断においてだけでなく、未遂の判断などさまざまな点で影響を与えています。

(参照 w:結果無価値w:行為無価値

違法性の推定 編集

ある行為が刑罰を科せられるためには、その行為が違法かつ有責なものでなければなりません。そこで、当該行為が違法であるか否の検討が必要となりますが、構成要件の講座で扱ったように、構成要件は、違法類型あるいは違法有責類型であると考えられているため、構成要件に該当することでその行為は違法であることが推定されます。

そこで、構成要件に該当する行為は原則として違法なのであって、例外的に、違法性が阻却される事情があるか否かが問題とされることとなります。

そして、この違法性阻却事由として、条文上、正当行為(35条)、正当防衛(36条)、緊急避難(37条)が定められています。また、明文にない違法性阻却事由(超法規的違法性阻却事由)も解釈上認められています。

(参照 w:違法性

正当行為 編集

35条は、「法令又は正当な業務による行為は、罰しない。」と定めており、その行為が法令による行為(法令行為)あるいは正当な業務による行為(正当業務行為)に該当する場合には、違法性が阻却されることとなります。

また35条の正当行為につき、法令行為・正当業務行為に限らず、ここには実質的違法性がない場合すべて(あるいは一部)が含まれるものと捉える見解もあります。

法令行為 編集

法令行為は、構成要件に該当する行為を法令によって命じられ、あるいは許されている場合であり、警察が被疑者を逮捕する場合等が例として挙げられます。これは形式的には、法秩序の統一性の観点から、ある法において許容されている行為が刑法上違法となるというのは矛盾であって、ある法が許容している行為を別の法が禁ずるということはないと解釈されるべきであり、刑法上これを定めたのが35条であると解されます。また実質的にも、ある法によって許容されているということは、その法令が保護する法益と被侵害法益との比較衡量において、その行為を行う必要性・許容性が認められたものと解することができます。

法令が明確な要件を定めていない場合には、実質的な違法性の有無を考慮して法令を解釈し、その適用の可否を判断することとなります。

正当業務行為 編集

正当業務行為は、構成要件該当行為が正当な業務による行為と認められる場合であり、業務全てが違法性阻却されるわけではなく、この規定はその意味では正当な行為について違法性が阻却されるというものであって、内容に乏しく判断においては実質的な違法性の有無が検討されることとなります。

正当業務行為であるか否かが問題とされるものとしては、以下のような行為があります。

医療行為
医師による医療行為には、患者の身体に傷害を負わせるもの(例えば外科手術)などがありますが、この行為について正当業務行為に当たるかが問題となります。そして一般的に、およそ医療行為でありさえすれば全て正当業務行為であるとは考えられておらず、医療行為が正当であるのは患者の意思に基づきその生命・健康を維持増進するものであるためと考えられ、医療行為が正当業務行為として認められるためには、患者の同意、医学的適応性(その医療行為が患者の生命・健康にとって必要であること)、医術的正当性(医療行為が医学上承認された医療技術に則っていること)の3点が必要となります。なお見解によっては、医療行為について構成要件該当性を否定する見解もあり、また患者の同意がある場合には被害者の同意の問題ともなります。この他、安楽死・尊厳死などに関しては被害者の同意の講座を参照してください。
争議行為
勤労者の争議権は憲法上も保障された権利であり(憲法28条)、また労働組合法1条2項も正当な目的のためにする争議行為は35条の適用があるものと定めています。もっとも、これについてもおよそ争議行為であれば何をしてもよいわけでは決してなく、正当と認められるか否かは実質的な判断がなされることとなりますが、現在の判例は後記の久留米駅事件(最大判昭和48年4月25日刑集27巻3号418頁)に見られるように、当該行為の具体的状況その他諸般の事情を考慮して法秩序全体の見地から許容されるべきものか否かを判定するものとしており、これを容易には認めないものとなっています。また見解によっては、争議行為は法令行為に位置づけられています。
取材活動
国民の知る権利に奉仕する報道機関の取材活動についても、正当業務行為として違法性が阻却され得ます。最高裁は、外務省機密漏洩事件(最決昭和53年5月31日刑集32巻3号457頁)において、「報道機関の国政に関する取材行為は、国家秘密の探知という点で公務員の守秘義務と対立拮抗するものであり、時としては誘導・唆誘的性質を伴うものであるから、報道機関が取材の目的で公務員に対し秘密を漏示するようにそそのかしたからといって、そのことだけで直ちに当該行為の違法性が推定されるものと解するのは相当ではなく、……略……それが真に報道の目的から出たものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為というべきである。」とした上で、本件については被告人の行為は、当初から秘密文書を入手する手段として利用する意図で女性事務官と肉体関係を持ったというものであってその手段・方法において法秩序全体の精神に照らし社会観念上、到底是認することのできない不相当なものであるから、正当な取材活動の範囲を逸脱したものとして、記者である被告人につき国家公務員法の秘密漏示そそのかし罪に該当するとした原審の判断を支持しました。

超法規的違法性阻却事由 編集

超法規的違法性阻却事由は、明文の規定はないものの当該行為に実質的違法性が認められないため、解釈上、違法性が阻却されると考えられているものです。もっとも、どのようなものについてこれを認めるか、あるいはそれを違法性阻却事由として検討するかは見解にもよります。ここでは、可罰的違法性の理論について扱います。推定的同意については、被害者の同意の講座を参照してください。

可罰的違法性 編集

また、明文で定められたものではないものの、その違法性が極めて軽微なものである場合には、可罰的違法性が存在しないことを理由として犯罪の成立を否定する見解が主張されています。このような可罰的違法性の理論については、これを肯定する見解がある一方で、これを、違法性と異なる可罰的違法性を認めるの肺胞の統一性を破ることとなる、あるいはその基準が不明確であるなどとして批判し、否定する見解もあります。また肯定する見解の中でも、可罰的違法性について一定の場合につき構成要件段階において考慮するという見解と、構成要件段階で考慮すべきものではなく、違法性阻却事由として扱うべきものという見解とがあります。

一厘事件(大判明治43年10月11日刑録16輯1620頁)
これは、煙草の耕作人が価格1厘相当の葉煙草を納入しなかったため煙草専売法違反に問われた事案であり、ここで大審院は、共同生活上の観念において刑罰の制裁の下に法律の保護を要求すべき法益の侵害と認めざる以上は、これに臨むに刑罰法規をもってし犯人に危険性があると認められる特殊の情況の下に決行されたものでない限り刑罰の制裁を加える必要はないとしました。
マジックホン事件(最決昭和61年6月24日刑集40巻4号292頁)
これは、義理のある知人に頼まれてマジックホン二台を購入したが、試しにこれを取り付けて一度公衆電話から電話をさせ、10円硬貨の戻ったことを確認した後に取り外したという事件において、最高裁は、1回通話を試みただけで同機器を取り外した等の事情があったにせよ、それ故に、行為の違法性が否定できるものではないとして、有線電気通信妨害罪、偽計業務妨害罪の成立を認めることができるとしました。

また、以上のような生じた結果自体が軽微である絶対的軽微型のもののほか、生じた結果自体の違法性は軽微といえないものの、一定の正当性が認められるため、その実質的違法性を検討すると可罰的違法性が認められず、違法性が阻却されるという相対的軽微型のものがあります。

久留米駅事件(最大判昭和48年4月25日刑集27巻3号418頁)
これは、被告人らが国鉄労働組合地方本部の役員などとして年度末手当て要求闘争に参加した際に、信号所勤務者を勤務時間内の職場集会に参加するよう説得等する目的で、係員以外の者の立ち入りが禁じられている信号所に立ち入ったところ、建造物侵入罪で起訴されたという事案です。
最高裁は、「勤労者の組織内集団行動としての争議行為に際して行われた犯罪構成要件該当行為について刑法上の違法性阻却事由の有無を判断するにあたっては、その行為が争議行為に際して行われたものであるという事実をも含めて、当該行為の具体的状況その他諸般の事情を考慮に入れ、それが法秩序全体の見地から許容されるべきものであるか否かを判定しなければならないのである。」といった上で、信号所が列車の正常・安全な運行を確保する上で極めて重要な施設であり、被告人が当局側の警告を無視し、信号所職員に職務を放棄させる意図をもって侵入したのであって、このような侵入行為は刑法上違法性を欠くものでないことは明らかであるとして、建造物侵入罪の成立を否定した原判決を破棄差戻ししました。

以上のような法秩序全体の見地から刑法上の違法性を判断するという方式は、久留米駅事件方式と呼ばれ、この判決後広く用いられています。特にこの判決以降、最高裁は可罰的違法性の欠如を理由として無罪とすることに消極的な立場をとっています。

(参照 w:正当行為