ここでは、構成要件の一つである因果関係について扱います。

この講座は、刑法 (総論)の学科に属しています。前回の講座は不作為犯、次回の講座は故意です。

因果関係の認定 編集

事実的因果関係 編集

ある行為があり、ある結果がある場合であっても、そこに因果関係が認められなければ構成要件には該当しません。例えば甲が野球をし、Aが死亡したというだけでは、甲は殺人罪の客観的構成要件に該当するものではありません。

そこでまず、最も広範に認められ因果関係の判断の前提となる、事実的因果関係の有無が検討されることとなります。これは条件関係とも言い、まさに事実としてある実行行為とある結果に因果関係があるかどうかを問題とするものであり、一般的には条件関係の公式「あれなければこれなし(conditio sine qua non)」が適用できる実行行為と結果があればその両者に因果関係が認められます(行為なければ結果なしなどともいわれ、コンディツィオ公式と呼ばれることもあります。)。上の例で言うと、例えば甲が北海道で野球をし、Aが沖縄で食中毒で死亡したような場合、甲が野球をしなかったとしてもAが死亡しなかったとはいえないため、事実的因果関係さえないものと判断されます。しかし一方、甲が野球のボールを打ってAの足にあて、Aに怪我をさせ、Aが病院に行ったところその病院で爆弾テロがあってAは死亡したという場合、甲がボールを打たなかったならAは死ななかったといえるため、事実的因果関係は認められます。

また、因果関係は具体的な結果との間に必要であり、結果は具体的に把握されなければなりません。抽象化を認めると、人はいずれ死ぬのであるから、これを殺しても行為と死亡との間には因果関係はないなどということにもなりかねません。このように死を抽象化することは認められず、例えば「2009年2月1日19時15分30秒のAの出血多量による死」などという形で具体的に捉えられることとなります。

さらに、例えば死刑執行官が死刑執行のボタンを押す直前に、甲が死刑執行官を押しのけて勝手に死刑執行のボタンを押した場合、甲がボタンを押さなくとも死刑執行官がボタンを押すことで死刑囚は死亡したのだから、甲の行為は死亡との因果関係はないなどということはできないと考えられ、このような仮定的因果経過の事例においては、現実に生じなかった事情を付け加えてはならないと考えられます(付け加え禁止)。

事実的因果関係だけで因果関係を認めると、一般的にはおよそ殺人行為とは認められないような行為についても客観的な構成要件該当性は認められることとなりますが、これでは広範に過ぎ問題があると考えられ、因果関係を認める範囲を限定する理論が構築されてきました。そして通説となっていたのが、相当因果関係の理論です。

択一的競合 編集

以上のように、条件公式に付け加え禁止をあわせて考えても条件公式で必ずしも適当な判断とならないとも考えられているのが、択一的競合の事例です。択一的競合とは、例えば、Aを殺そうと考えた甲と乙が、同じワインにそれぞれ致死量を越える同じ毒を、意思を通じるなどによる共犯関係なく加え、これを飲んだAが毒によって死んだ場合のことです。この場合、上記の事実的因果関係を理論的に判断すると、甲の行為がなくとも乙の毒によって全く同じ時期にAは死んだのであり、また乙の行為がなくとも甲の毒によってAは死んだこととなるため、甲・乙ともに事実的因果関係は認められず、実行行為は行われたものの結果との間に因果関係がない以上、甲・乙の行為に結果が帰属できず、共に殺人未遂となると考えられます。

学説では、双方共に未遂でよいという見解も主張されていますが、Aが実際に死んだ以上甲・乙がともに未遂であって既遂犯がいないというのはやはり妥当でない、また、甲と乙が致死量の半分の毒を投入した場合には、甲・乙ともに殺人既遂が認められるのに対して不均衡であって問題があるという見解も主張されています。このような見解においては、甲・乙の両方の行為をまとめて取り去って、甲・乙の行為がなければAは死ななかったとして事実的因果関係を認めるとの主張などがなされています。もっともこのように、まとめて取り去るということについて、なぜそのようなことができるのか論理的な説明をするのは困難です。

なお、学説上、択一的競合事例といった場合にどのような事例が想定されているかは完全には一致していないないため、その点には注意が必要です。すなわち、上の例で言うと両方の毒が作用したのが証明された事例のみを択一的競合事例とする見解と、両方の毒が作用したかどうかはわからない場合も択一的競合事例として扱う見解とがあります。

合法則的条件説 編集

以上のような条件公式を用いて事実的因果関係を判断する見解が伝統的なものであり、現在でも多数の採る見解と考えられますが、条件関係の公式を放棄し、あるいはこれはあくまで補助公式であって絶対的なものではないとして、行為と結果との間に自然法則に従った事実的なつながりが認められる場合には、たとえ条件関係の公式を充たさない場合であっても事実的因果関係を認めるという、合法則的条件説も主張されています。

相当因果関係説 編集

相当因果関係説とは、事実的因果関係が認められる場合のうち、その因果関係が相当といえる場合のみに因果関係を認めるというものです。そして、この相当因果関係の判断においては、どのような事情について判断の基礎とすることができるかという判断基底についての議論がなされており、以下の見解の対立があります。

主観説
主観説は、行為者が行為時に認識していた事情及び行為者が予見していた行為後の事情のみを判断基底とします。現在ではこの見解は少数説です。
客観説
客観説は、事後的に判断して、行為時に存在していた全ての事情と、客観的に予見可能な行為後の事情(一般人に予見可能であった行為後の事情)とを判断基底とします。
折衷説
折衷説は、一般人及び行為者が行為時において認識していた事情と、一般人及び行為者が予見していた行為後の事情とを判断基底とします。

客観説は、因果関係は客観的な構成要件要素であって行為者の認識や予見を考慮するのは妥当でなく、行為時に存在していた全ての事情と客観的に予見可能な事情とを判断の基礎とすることができるといいます。これに対して折衷説は、客観的な全事情を基礎とすることは、行為者におよそ一般人にも認識できないような事情を認識・予見して行動すべきということとなるとして批判し、一般人であれば認識・予見できた事情と、行為者が特に認識・予見していた事情とを判断の基礎とします。

上の野球の例で言うと、折衷説からすると、通常爆弾テロがあることが一般人には認識・予見していたものとはいえないため、この甲の行為が客観的な殺人の構成要件に該当するためには、甲が爆弾テロがあることやその病院にAが行くこととなることを知っていたことが必要となります。これに対して客観説であれば、行為時に既に爆弾が仕掛けられていたり、Aの掛かりつけの医者がその病院であった場合には、甲の認識はどうあれ因果関係が認められ得ることとなります。

そして見解によるそれぞれの判断基底となる事情を基礎として、結果に至る因果関係が経験上相当なものである場合に因果関係を認めるのが、相当因果関係説です。

危険の現実化 編集

従来は以上のような、相当因果関係説が通説となっていましたが、大阪南港事件における最高裁決定ではこれとは異なる判断がなされ、またこの判例に関連して相当因果関係説は実用に耐える基準となるものではないとの批判もなされたことから、相当因果関係説と異なる見解や、あるいはこれに修正を加える見解が主張されることとなりました。

大阪南港事件(最決平成2年11月20日刑集44巻8号837頁)
これは、被告人が被害者に暴行を加えた後被害者を大阪南港に放置していたところ、何者かが(検察はこれも被告人と主張しましたが裁判所は証明されていないとして否定しました。)さらに被害者を殴りつけ、これによって被害者の死期が早まった可能性があるという事案です。
最高裁は、「犯人の暴行により被害者の死因となった傷害が形成された場合には、仮にその後第三者により加えられた暴行によって死期が早められたとしても、犯人の暴行と被害者の死亡との間の因果関係を肯定することができ、本件において傷害致死罪の成立を認めた原判断は、正当である。」と判示しました。

従来の相当因果関係説からすると、折衷説においては、第三者が倒れている被害者にさらに攻撃を加えるようなことは行為者にも一般人にも認識・予見できるものではなく、また客観説からしても第三者が被害者にさらに攻撃を加えることは、被告の行為時の全事情からも行為後の客観的に予見可能な事情からも相当と認められるものとはいえないため、被告の暴行と被害者の死の間の相当因果関係は認められないこととなります。しかし、最高裁は、この判決においてこの両者の間の因果関係を認めました。

これを受けて主張されているのが危険の現実化の考え方であり、大阪南港事件のような場合において、たとえ被告人の第三者の行為が介入したとしても、第一行為の危険が結果に現実化したといえるのであれば、第一行為と結果との因果関係を認めるというものです。ここで、第一行為と第二行為のどちらに結果を帰属させるかについては、その結果への寄与度が大きい方に結果が帰属するなどといわれます。

判例 編集

因果関係が問題となった事例としては以下のようなものがあります。判例は当初、因果関係については条件説、すなわち事実的因果関係があれば足りるという立場をとっているものと理解されていました。しかし、以下の米兵ひき逃げ事件において相当因果関係説に近い判示がなされたことから、判例は相当因果関係説に立ったとも考えられました。もっとも、現在の判例は上述の「行為の危険性が結果へと現実化したか」という「危険の現実化」が基準とされて因果関係の判断が行われており、現に、最一小決平成22年10月26日刑集64巻7号1019頁は「そうすると、本件ニアミスは、言い間違いによる本件降下指示の危険性が現実化したものであり、同指示と本件ニアミスとの間には因果関係があるというべきである。」と判示し、「危険性が現実化」という用語を用いて因果関係を肯定しました。

被害者の特殊事情 編集

最判昭和46年6月17日刑集25巻4号567頁
これは、被告人が被害者である老女を仰向けに倒し、右手で口を押さえつけ、さらに顔を布団で覆って甲後部を圧迫するなどして反抗を抑圧し現金等を奪ったところ、被害者には極めて軽微な外因によっても突然心臓機能の障害を起こし、心臓死に至るような病的素因があり、急性心臓死を遂げたという事案です。
これにつき原審は相当因果関係を否定しましたが、最高裁は、「致死の原因たる暴行は必ずしもそれが死亡の唯一の原因又は直接の原因であることを要するものではなく、たまたま被害者の体に高度の病変があったためこれとあいまって死亡の結果を生じた場合であっても、右暴行による致死の罪の成立を妨げない……略……、たとい、原判示のように、被告人の本件暴行が、被害者の重篤な心臓疾患という特殊の事情さえなかったならば致死の結果を生じなかったであろうと認められ、しかも、被告人が行為当時その特殊事情のあることを知らず、また、致死の結果を予見することもできなかったものとしても、その暴行がその特殊事情とあいまって致死の結果を生ぜしめたものと認められる以上、その暴行と致死の結果との間に因果関係を認める余地があるといわなければならない。」として、原判決を破棄差戻ししました。

行為者の行為の介在 編集

他の行為の介在の場合としては、既に取り上げた大阪南港事件のように、他者の故意行為が介在する場合のほか、行為者自身の第二行為が介在する場合や、被害者の行為が介在する場合、他者の過失行為が介在する場合があります。

熊撃ち事件(最決昭和53年3月22日刑集32巻2号381頁)
これは、熊を狩猟するためにAと山に入った被告人は、熊と間違えてAを撃ち、Aを撃ったことに気づいた被告人がAが瀕死の状態であると考えて、Aを早く楽にさせて逃走しようと決意し、さらにAに発砲し、この第二行為によってAの死期が早められたという事案です。
これにつき最高裁は、「本件業務上過失傷害罪と殺人罪とは責任条件を異にする関係上併合罪の関係にあるものと解すべきである、とした原審の罪数判断は、その理由に首肯し得ないところがあるが、結論においては正当である。」として、被告人側からの上告を棄却しました。すなわち、第一行為は第二行為がなくとも死亡結果を引き起こしたと考えられるものでしたが、第二行為の介在により第一行為には死亡結果は帰属するものではなく、業務上過失傷害罪にとどまると判断されたものと考えられます。

被害者の行為の介在 編集

高速道路侵入事件(最決平成15年7月16日刑集57巻7号950頁)
これは、被告人4名が被疑者を公園に誘い出し、深夜約2時間にわたり暴行を加え、さらにマンション居室において約45分間暴行を加えたところで、被害者が隙を見てマンション居室から逃走し、約10分後、800メートル程度離れた高速道路に侵入して自動車に衝突され、死亡したという事案です。
最高裁は、「被害者が逃走しようとして高速道路に侵入したことは、それ自体極めて危険な行為であるというほかないが、被害者は、被告人らから長時間激しくかつ執ような暴行を受け、被告人らに対し極度の恐怖感を抱き、必死に逃走を図る過程で、とっさにそのような行動を選択したものと認められ、その行動が、被告人らの暴行から逃れる方法として、著しく不自然、不相当であったとはいえない。そうすると、被害者が高速道路に侵入して死亡したのは、被告人らの暴行に起因するものと評価することができるから、被告人らの暴行と被害者の死亡との間の因果関係を肯定した原判決は、正当として是認することができる。」として、傷害致死罪の成立を認めました。

このほか、被告人が被害者に傷害を負わせた後、被害者は入院して手術を受け一旦容態が安定したが、その後容態が悪化して死亡したという事案において、被害者が医師の指示に従わず無断退院しようとして治療用の官を引き抜くなどして暴れたためこれが容体悪化の原因となった可能性が認められるとしても、被告人らの行為により被害者の受けた傷害はそれ自体死亡の結果をもたらしうる身体の損傷であり、被害者の死亡と被告人らの暴行による傷害には因果関係があるとして傷害致死を肯定した判例(最決平成16年2月17日刑集58巻2号169頁)などがあります。

第三者の行為の介在 編集

第三者の故意行為が介在した事例として、上記の大阪南港事件のほか、以下の事例があります。

米兵ひき逃げ事件(最決昭和42年10月24日刑集21巻8号1116頁)
これは、在日米軍兵である被告人が、運転免許の停止中に普通乗用車を運転し、その走行中過失によって、自転車を運転していた被害者を跳ね飛ばし、被害者は被告人の車の屋根に跳ね上げられたのであるが、被告人はこれに気づかずそのまま運転を続けて走行し、4km余り離れたところで助手席に同乗していた友人の兵士がこれに気づいて屋根から被害者を逆さまに引きずり降ろして道路上に転落させたところ、被害者は頭部打撲に基づく出血によって死亡したが、その致命傷となった打撲がはじめの被告人の車との衝突によるものか、同乗者の引きずり降ろす行為によるものかは確定できなかったという事案です。
最高裁は被告人の過失行為と死の結果との因果関係の有無について、「同乗者が進行中の自動車の屋根の上から被害者をさかさまに引きずり降ろし、アスファルト舗装道路上に転落させるというがごときことは、経験上、普通、予想しえられるところではなく、ことに、本件においては、被害者の死因となった頭部の傷害が最初の被告人の自動車との衝突の際に生じたものか、同乗者が被害者を自動車の屋根からひきずり下ろし路上に転落させた際に生じたものか確定しがたいというのであって、このような場合に被告人の前記過失行為から被害者の前記死の結果の発生することが、われわれの経験則上当然予想しえられるところであるとは到底いえない。」として、因果関係はないと判断しました。

また、第三者の過失行為が介在した事例として、以下のものがあります。

最決平成18年3月27日刑集60巻3号382頁
これは、被告人が共犯者とともに、被害者を乗用車後部のトランクに押し込み、トランクを閉めて脱出不能にして、知人らと合流するため移動し、市街地の車道の幅員7.5m、片側1車線のほぼ直線の見通しのよい道路上に車を停車していたところ、後方から、前方不注意により別の車が時速約60kmで追突し、トランク内に押し込まれていた被害者はまもなく死亡したという事案です。
最高裁は、「被害者の死亡原因が直接的には追突事故を起こした第三者の甚だしい過失行為にあるとしても、道路上で停車中の普通乗用自動車後部のトランク内に被害者を監禁した本件監禁行為と被害者の死亡との間の因果関係を肯定することができる。」として、逮捕監禁致死罪の成立を認めました。

以上のほか、夜間のスキューバダイビングにおいて、潜水指導者である被告人が受講生である被害者らを見失った結果、被害者が溺死したが、第三者である指導補助者や被害者自身にも不適切な行動があったという事案において、被告人の行為自体が被害者を溺死させる危険性を持つものであり、指導補助者や被害者らの不適切な行動があったことは否定できないがそれは被告人の右行為から誘発されたものであって、被告人の行為と被害者の死亡との間の因果関係を肯定するのを妨げないとした夜間潜水事件(最決平成4年12月17日刑集46巻9号683頁)などがあります。

(参照 w:相当因果関係