光学とは
本講義では「光学とは?」ということに簡単に触れてみることとします。
光学とは?
編集光学とは、物理学の分野のひとつである。光学は光そのものの性質、光と物質の相互作用を学び、研究する学問である。
光は粒子と波動の2つの基本性質がある。これは本学科でもさわり程度であるが、講義を設けているので、詳しい話はそちらに任せるとする。
光学の範囲は、我々の生活に密着しているといえる。それは太陽光などの自然光について扱うのも光学であるし、レーザー光や蛍光灯などの人工の光について扱うのも光学だからである。光学とは、知らず知らずのうちに、我々が接している分野でもある。
さて、空を見てみよう。
目の前に広がるのは晴天の青空だろうか?それとも満天の星空だろうか?
そのとき、ふと疑問に思うことはないだろうか?
- 何故、空は青いんだろう?
- 何故、星は輝いているんだろう?
そう思ったとき、君は光学の扉を叩いている。それを知ろうとするのが光学という学問の入り口なのである。
光学のはじまり
編集光学の始まりについて触れる。ここでは光が研究される以前のこと、研究されだした頃、そして光の性質を語る上で必要な粒子説と波動説の始まりのエピソードを話す。
紀元前からルネッサンス期前
編集光の歴史は人類の歴史と共にある。古代の地球では太陽は神として崇められており、信仰の対象でもあった。科学的に学問として光が研究され始めたのはルネッサンス期ごろであると考えられる。それまで、人は太陽(=光)を信仰の対象としており、その運行によって日時を知ったり、太陽の光をレンズによって集める(集光)させ、活用する(古代ギリシアのアルキメデスは太陽光を凹面鏡で集光・屈折させて、敵(ローマ帝国)の艦隊を焼き払うという方法を進言したという逸話がある)といったことは行われていたようだが、科学的な論証を持って光を研究するには至らなかったようである。この頃とルネッサンス期を含め光を学問として扱うよりも、むしろ天文学を学ぶ上で望遠鏡や顕微鏡が発明されていった。つまり、光学が発展した背景には天文学は切っても切れない関係があるのである(天文学は天文学科で扱う)。
光学現象の科学的な研究のはじまり
編集ルネッサンス期初頭、光の重要な性質である回折についての法則(スネルの法則)を発見したオランダのヴィレブロルト・スネル(1580年 - 1626年)がいる。彼の法則が共に世に広がったのは実に彼が死去してから70年後、オランダのクリスティアーン・ホイヘンス(1629年 - 1695年)がその著書で彼の名前を記してからであった。
次に有名なのはイギリスの科学者、アイザック・ニュートン(1642年 - 1727年)がいる。彼は「りんごが落ちるのをみて気づいた」という万有引力を発見しただけではない。彼は天体の動きを観測するために、ニュートン式反射望遠鏡を製作するなど、物理学、天文学、光学を語る上で欠かせない人物である。彼は「光とは粒子である」という光の粒子説を唱えた。また彼はプリズムによる、太陽光のスペクトル分解も行った。後にこれが分光学として研究されるようになる。この粒子説は、イギリスの有名物理学者であるニュートンが唱えた説であったため、科学者の間では彼の死後200年ほど、光の粒子説が圧倒的な支持を集めた。
1805年頃、イギリスのトマス・ヤングが「光とは波である」という光の波動説を唱えた。彼は実験の結果(いわゆるヤングの実験)に基づいて光を波で考えると、真空中を光が通る理由や、光の回折現象を説明できるとした。しかし、当時の物理学者たちはニュートンの光の粒子説が正しいものと信じ、「光はエーテルと呼ばれる媒質があり、そこを光は伝播する」と仮設をたて、ヤングの光の波動説は否定した。後にイギリスのジェームズ・クラーク・マクスウェル(1831年 - 1879年)が「光とは電磁波である」とする光の電磁波説を唱え、この議論は一定の決着を見ることになる。この光の電磁波説は、マクスウェルの死後3年経った1882年、アメリカのアルバート・マイケルソン(1852年 - 1931年)がエドワード・モーリー(1838年 - 1923年)と共に行ったエーテルの確認実験(マイケルソン・モーリーの実験)の失敗によって、科学的に説明されることとなる。
これ以降もさまざまな物理法則に基づく光学現象の説明や証明がなされることとなる。もちろん、量子光学の世界はニュートンやマイケルソンの時代よりも、もっと後の時代である。今回、これについては割愛させていただく。
近代の光学
編集我々は、近代現代において光学を学び、そして応用して生活している。色は周波数で解析され、光の三原色が証明されたり、虹のメカニズムを科学的に説明できるようになった。
そして、我々は光をより身近に使い始めた。レーザーや光ファイバー、光通信をはじめとした情報ネットワーク。蛍光灯やLEDといった発光デバイスの開発。光学メディアと呼ばれるDVDやブルーレイの開発。そして、今この画面を映し出している液晶ディスプレイ……。今や、我々の生活に光学が使われないところはないと言っても等しい。
今、この講義を聴いている君たちの世代はもしかするとこの近代の光学は古ぼけた、時代遅れな話になっているかもしれない。それは当然である。光は未だに解明されないメカニズムを持つ、人類が完全攻略していない学問なのである。考えて欲しい。スネルやヤングは光について論証を残した。彼らの時代ではその論証自体が目新しいものであったに違いない。それがいかに古臭い法則であったり、証明であっても、その技術があってこその現代光学であることを忘れないで欲しい。
さて、早口で光学とはどういうものなのかを紹介した。次回は生活の中にある光について考えてみる。