本文(原文)
編集かかるほどに、宵(よひ)うち過ぎて、子(ね)の時ばかりに、家のあたり、昼の明かさにもすぎて光りたり。望月の明かさを十(とを)合わせたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。 大空より、人、雲に乗りて降り来て、土より五尺ばかり上がりたるほどに、立ち連ねたり。これを見て、内外(うちと)なる人の心ども、ものにおそはるるやうにて、あい戦はむ心もなかりけり。からうじて思ひ起こして、弓矢を取り立てむとすれども、手に力もなくなりて、なえかがりたる中に、心さかしき者、念じて射むとすれども、ほかざまへ行きければ、荒れも戦はで、ここちただしれにしれて、まもり合へり。
立てる人どもは、装束(さうぞく)の清らなること、物にも似ず。飛ぶ車一つ具したり。羅蓋(らがい)さしたり。その中に王とおぼしき人、家に「造麻呂(みやつこまろ)まうで来(こ)」と言ふに、たけく思ひつる造麻呂も、ものに酔(ゑ)ひたるここちして、うつぶしに伏せり。いはく、「なんぢ、幼き人、いささかなる功徳を翁つくりけるによりて、なんぢが助けにとて、片時のほどとて下ししを、そこらの年ごろ、そこらの金(こがね)賜ひて、身を変えたるごとなりにたり。かぐや姫は、罪を作りたまへりければ、かくいやしきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。罪の限り果てぬれば、かく迎ふるを、なほ嘆く、あたはぬことなり、はや返したてまつれ」と言ふ。
翁答へて申す、「かぐや姫を養ひたてまつること二十余年になりぬ。片時とのたまふに、あやしくなりはべりぬ。また、ことどころに、かぐや姫と申す人ぞ、おわすらむ」と言ふ。 「ここにおはするかぐや姫は、重き病をしたまへば、えいでおはしますまじ」と申せば、その返り事はなくて、屋の上に飛ぶ車を寄せて、「いざ、かぐや姫、きたなき所にいかでか久しくおはせむ」と言ふ。 立てこめたるところの戸、すなはちただあきにあきぬ。格子(かうし)どもも、人はなくしてあきぬ。嫗(おうな)いだきてゐたるかぐや姫、外(と)にいでぬ。えとどむまじければ、たださし仰ぎて泣きをり。
竹取、心惑ひて泣き伏せる所に寄りて、かぐや姫言ふ、「ここにも、心にもあらでかくまかるに、のぼらむをだに見送りたまへ」と言へども、「何しに悲しきに見送りたてまつらむ。われをいかにせよとて、捨ててはのぼりたまふぞ。具して率(ゐ)ておはせね」と泣きて伏せれば、御心(みこころ)惑ひぬ。「文(ふみ)を書き置きてまからむ。恋しからむをりをり、取りいでて見たまへ」とて、うち泣きて書くことばは、 「この国に生まれぬるとならば、嘆かせたてまつらぬほどまではべらで過ぎ別れぬこと、かへすがへす本意(ほい)なくこそおぼえはべれ。脱ぎ置く衣(きぬ)をかたみと見たまへ。月のいでたらむ夜は、月のいでたらむ夜は、見おこせたまへ。見捨てたてまつりてまかる空よりも落ちぬべきここちする」と書き置く。
天人の中に持たせたる箱あり。天(あま)の羽衣入れり。また、あるは不死の薬入れり。ひとりの天人言ふ、「壺なる御薬(みくすり)たてまつれ。きたなき所の物きこしめしたれば、御(み)ここちあしからむものぞ」とて、持て寄りたれば、わづかなめたまひて、少しかたみとて、脱ぎ置く衣に包まむとすれば、ある天人包ませず。御衣(おんぞ)を取りいでて着せむとす。そのときに、かぐや姫、「しばし待て」と言ふ。「衣着つる人は、心ことになるなりといふ。ものひとこと言ひ置くべきことありけり」と言ひて、文(ふみ)書く。天人、「おそし」と心もとながりたまふ。かぐや姫、「もの知らぬことなのたまひそ」とて、いみじく静かに、おほやけに御文たてまつりたまふ。あわてぬさまなり。
「かくあまたの人を賜(たま)ひてとどめさせたまへど、許さぬ迎へまうで来て、取り率(ゐ)てまかりぬれば、くちをしく悲しきこと。宮仕へ仕うまつらずなりぬるも、かくわづらはしき身にてはべれば、心得ずおぼしめされつらめども、心強く承(うけたまは)らずなりにしこと、なめげなる者におぼしめしとどめられぬるなむ、心にとまりはべりぬる」とて、
今はとて天の羽衣着るをりぞ君をあはれと思ひいでぬる
とて、壺の薬添へて、頭(とう)の中将(ちゆうじよう)呼び寄せてたてまつらす。中将に、天人取りて伝ふ。中将取りつれば、ふと天の羽衣うち着せたてまつりつれば、翁をいとほしかなしとおぼしつることもうせぬ。この衣着つる人は、物思ひなくなりければ、車に乗りて、百人ばかり天人具してのぼりぬ。
そののち、翁、嫗、血の涙を流して惑へど、かひなし。あの書き置きし文を読み聞かせけれど、「何せむにか命も惜しからむ。たがためにか。何事も益(やう)もなし」とて、薬も食はず、やがて起きも上がらで病み伏せり。
中将、人々引き具して帰り参りて、かぐや姫をえ戦ひとめずなりぬることこまごまと奏す。薬の壺に御文添へて参らす。広げて御覧じて、いといたくあはれがらせたまひて、物もきこしめさず、御遊(みあそ)びなどもなかりけり。
大臣(おとど)、上達部(かんだちめ)を召して、「いずれの山か天に近き」と問はせたまふに、ある人奏す、「駿河(するが)の国にあるなる山なむ、この都も近く、天も近くはべる」と奏す。これを聞かせたまひて、
会ふこともなみだに浮かぶわが身には死なぬ薬も何にかはせむ
かの奉る不死の薬に、また壺具して御使いに賜はす。勅使には、調(つき)のいはかさといふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂に持て行くべきよし仰せたまふ。峰にてすべきやう教えさせたまふ。御文、不死の薬の壺並べて、火をつけて燃やすべきよし仰す。そのよし承りて、つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなむ、その山をばふじの山とは名づけける。その煙(けぶり)、いまだ雲の中へ立ちのぼるとぞ言ひ伝へたる。
意味(現代語訳)
編集こうしているうちに、宵(日暮れ後しばらく)も過ぎて、子[ね](真夜中11時から1時ぐらい)の時の頃、家のあたりが昼の明るさを超えて光っている。満月の明るさを十合わせたほどで、そこにいる人の毛の穴さえ見えるほどだった。 大空から人が、雲に乗って降りてきて、土より 5尺(1+17/33m?)ほど浮かんだところに、立ち連ねていた。これを見て、館の内外にいる人々の心、物に襲われるようで、戦おうとする気持ちもなくなった。かろうじて思い起こして、弓矢を取り立てようとするけれど、手に力も無くなって、萎えて屈みこんでしまった中に、心が強く賢い者、念じて射ようとするけれど、荒れて戦う事も出来ず、心地只痴れに痴れて、目を見合わせあうのみだった。
立っている天人達は、装束が清らかなこと、似ているものもない。飛ぶ車を一台持っていた。それに羅蓋[らがい](薄絹ではった傘)をさしている。その中に王と思われる人がいて、家に向かって「造麻呂[みやっこまろ]、出て参れ」と云うと、猛く思っていた造麻呂も、物に酔った心地して、うつぶせに伏せてしまった。王曰く、「汝、幼き人、些かの功徳は翁作っただろうから、お前の助けにと、片時のこととして姫を下したが、そこらの年頃、そこらの小金を手に入れ、身を変えたようになってしまったな。かぐや姫は、罪をおつくりになったので、このような賤しきおのれが元に、しばしのあいだいらっしゃったのだ。罪の限りは果てたので、このように迎えに来た、なお嘆くが、どうにもできないよ。早く返し申せ」、と。
翁が答えて、「かぐや姫を養い申すこと二十余年になります。片時と宣うこと、納得いきません。また別のところに、かぐや姫と申す人が、いらっしゃるのでは…」、と、言う。 「ここに居られるかぐや姫は、重い病にかかっているので、お出になることは出来ないでしょう」と申すと、その返り事はなくて、屋根の上に飛ぶ車を寄せて、「さあ、かぐや姫、汚い所にどうして長く居られますか?」、と言う。 閉め切っていたところの戸が、すぐに開きに開いた。上に釣り上げなければいけない格子も、人もいないのに開いてしまう。嫗が抱いていたかぐや姫も、外に出てしまった。留めることが出来ないので、老夫婦はたださし仰いで泣いていた。
竹取、心が惑って泣き伏せる所に寄り添って、かぐや姫が、「ここにも、心にもないのにこうして 出ていきます、昇ろうとするのだけは、見送ってください。」と言うが、「何故、こんなに悲しいのに見送り申すことが出来ようか。我をいかにせよと、捨てて昇ってしまうのですか。率いて、連れて行って下さい」と泣いて伏せるので、姫の心も惑った。「文を書き置いて、行きましょう。恋しいとき、折々に取り出して御覧になって下さい」と、うち泣いて書く言葉は、 「私がこの国に生まれたならば、嘆かせ申さぬほどまでお傍に居るはずなのですが、そうせずに去って別れてしまうこと、かえすがえす本意ではない事だと思っております。脱いで置く衣をかたみだとお思いになってください。月の出るような夜は、こちらをご覧になってください。見捨て申して退出していく空から落ちてしまったような心地がします」と、書き置いた。
天人の中で持っている箱がある。天の羽衣が入っている。また、ある箱には不死の薬が入っている。一人の天人が言う、「壺の中のお薬をお飲みください。汚き所の物をお召上がりになってきたので、御心地が悪いでしょう」と、持ち寄りてきたので、姫はわずかにお舐めになって、少しをかたみと、脱ぎ置く衣に包もうとすると、そこにいる天人が包ませなかった。そして羽衣を取り出して着せようとした。そのときにかぐや姫が、「少し待って」と言う。「衣を着た人は,心が異なるものになるという。その前にもの一言、言い置くことがあります」と言って、文を書き始めた。天人、「遅い」と心もとながった。「まあもの知らないこと言わないで^^」と、ごく静かに、帝に御文お書きになる。慌てぬ様子だった。
「このように数多の人をお遣わしになって私を留めさせようとなされましたが、許さぬ迎えがいらして、私を連れて退出いたしてしまって、口惜しいし悲しいことですよね。宮仕えを仕らなかったのも、このような煩わしい身ですので、帝は心得ずお思いになっているでしょうが、強情に承らなかったこと、失礼な人間だとお思いになり、そう心におとめになられてしまうことが、残念です」、と、
今はそう、天の羽衣着る折ね、君のことが物凄く思い出されるな。
と、壺の薬を添えて、頭の中将呼び寄せて帝にお渡しになる。中将に、天人が受け取って伝えて渡した。中将が受け取ると、ふと天の羽衣を姫にうち着せた。すると翁を愛しい哀しいと思っていたことも失せてしまう。この衣を着た人は、物思いがなくなるので、車に乗って、百人ばかりの天人を連れて昇っていってしまった。
その後、翁、嫗、辛く、涙を流して惑ったが、甲斐はなかった。姫の書き置いた文を読み聞かせてあげたけれど、「何をしたところで、命が惜しいかね? 誰の為に? 何事ももう益もない」と言って、薬も飲まず、やがて起き上がることもなく病み伏せてしまった。
中将、人々を引き具して帰り参上して、かぐや姫を戦って止めることが出来なかったこと、こまごまと帝に申し上げた。壺の薬に御文を添えてお渡しする。広げて御覧になって、帝、とても心を打ったご様子で、食事もなさらず、音楽の遊びもなく、過ごしておられた。
大臣や上達部をお呼びになって、「どの山が天に近いだろうか?」と、帝がお聞きになると、ある人が申しあげるには、「駿河の国にあるという山が、この都に近く、天も近くあるようです」、と。これを聞いて、
会うこともない涙に浮かぶわが身には、死なない薬も何になろう。
姫が差し上げた不死の薬に、壺を添えて、御使いにお渡しになる。勅使には、調[つき]の岩笠という人をお呼びになって、駿河の国にある山の頂に持って行くよう仰せになる。その山の峰ですべきことをお教えになった。御文、不死の薬の壺を並べて、火をつけて燃やすように伝えた。その由を承って、兵士たちを沢山引き連れて山を登ったので、その山を富士(兵士に富む)の山と名付けたという。その煙は、いまだ雲の中に立ちのぼっていると言い伝えられている。