本講座では、固体物理学を学ぶための必須知識である基本格子ベクトル、基本逆格子ベクトル、逆格子空間の3項目について説明する。
結晶の中にある原子の数は をゆうに超える膨大な数ある。物理を記述するため、この原子一つ一つを のように座標で対応付けるのは計算上現実的ではない。
そこで固体物理学では、(理想的な)結晶中の原子が3次元方向に規則正しく周期的に並んでいることに着目し、単位胞(単位格子とも)という周期の最小単位のなかでの原子配置を記述する基本格子ベクトルだけを定義する。こうすることで、結晶中のあらゆる位置の原子の座標は、「基本格子ベクトル 単位胞の平行移動」ですべて表されることとなる。このことを、「結晶が並進対称性をもつ」と表現することがある。
数式で表すならば、単位胞を構成する基本格子ベクトル (3次元なのでベクトルは3つ)を用いることで、任意の原子位置は
と表現できる。 は任意の定数である。
以下に、固体物理ではポピュラーな3つの立方格子である単純立方格子(SC)、面心立方格子(FCC)、体心立方格子(BCC)(右図を見よ)それぞれの基本格子ベクトルを表す。一辺の長さ(格子定数)はすべて とする。
SC格子:
FCC格子:
BCC格子:
基本格子ベクトル から
で定義されるベクトル を基本逆格子ベクトルと呼ぶ。ここで、 はクロネッカーのデルタといい、 となる場合にのみ 、それ以外では となる関数である。これを明示的に表せば
である。この3式が定義式を満たすことを確認してみるとよい。
ここまで基本逆格子ベクトルを天下り的に与えたが、実際これが何を意味するのかを説明しよう。
まず を読み解くと、「 は(1) に垂直かつ(2) との内積が となるベクトル」などである。(1)はさておき、(2)はどういう意味なのか。これは波動論において波数が で与えられることと結びつけるとよい。すなわち、基本格子ベクトルが実空間(距離空間)における位置を表すベクトルだとすれば、基本逆格子ベクトルは波数空間において基本格子ベクトルに対応するベクトルである。
これらにより実空間と波数空間が対応付けられ、自在に行き来できるようになる(はずである)。
簡単な外積の練習として、SC格子、FCC格子、BC格子それぞれの基本逆格子ベクトルを求めてみよ。仮に基本格子ベクトルを前項のように定義すれば以下のようになるはずである。
SC格子:
FCC格子:
BCC格子:
逆格子空間とは、基本逆格子ベクトルで張られる空間である。この空間上の一点を逆格子ベクトル という。明示的に書けば、
と表される( は整数)。
とはいえ、これが一体何の役に立つのだろう。その説明のため、金属物質中の電子密度について考えよう。
理想的な結晶構造を持つ金属であれば、その原子配列は周期的であるため、その周りにある電子も各軸方向 それぞれに周期的な分布となるはずである。
電子密度 は並進操作 に対して不変である:
すなわち、結晶の軸がどのように平行移動しても分布自体は変換されないということである。
この電子密度が周期 をもつとき、フーリエ級数に展開した形は、
と表される。ここで、 は整数であり、 はフーリエ係数[注 1]。また、 の各方向に対して展開をしていることに注意。
実際、 を計算して並進操作に対して不変であることを確かめてみるとよい。
先ほどの の形は、以下のようにまとめられる。
つまり、並進操作 に対して を不変とするようなベクトル が必要である。
ここで思い出してもらいたいのが、前々節で述べた基本逆格子ベクトルの定義 である。
は基本格子ベクトルの組み合わせであることから、同様に を逆格子ベクトルの組み合わせとすればよいと分かる:
これは本節の初めに述べた逆格子ベクトル そのものである。
まとめると、電子密度は
と書ける。これを読み解くと、逆格子ベクトルは電子密度と一対一対応していると言える。この一対一対応こそ、逆格子ベクトルと逆格子空間が役に立つ理由である。
正確に言えば、逆格子空間の各点(=逆格子ベクトル)は、電子密度のような結晶内の周期的な物理量と一対一対応しているということである。
この性質の有用性が分かる事例を次節に紹介する。
前節の一対一対応の原理を用いたのが以下に解説するブラッグの法則である。ブラッグ回折やブラッグ反射などとも呼ばれる。
ブラッグの法則は、結晶中に入射した光(X線など)が散乱される際に、ある格子定数 (およびその整数倍)とその入射角の組が一意に定められるという法則である。
簡単のため右図のように、二次元方向のみ考える。また、弾性散乱のみと考えるものとする。
波数 が結晶内で散乱されて波数 の波となるとき、散乱波の振幅が入射波と同位相になって強められるためには、どういった波数の条件が満たされなければならないだろうか?
前節でも述べたように、結晶の周期に伴う電子の分布 はその対応する逆格子ベクトル を用いて
と表されるのだった。ここで、式内の次元を考えれば、 は1/(長さ)の次元、すなわち波数の次元を持つことが分かる。
入射波 がその電子(分布)に散乱され、散乱波 になるということは、
が成り立つということである[注 2]。この式がブラッグの法則そのものである。
この法則が具体的にどう有用なのかまだ不透明なので、先ほどの図を使ってもっと具体的に考えよう。
この図において、横方向に 、上方向に の単位ベクトルが向いているとする。
ここで、逆格子ベクトル は図中上方向に伸びる。その大きさは、
と表される。ここで、 は整数であり、強め合う二つの散乱波の反射する結晶の"レイヤー"の枚数に一致する(つまり、 なら間隔 で隣り合う散乱波同士の干渉を意味する)。
この式から、結晶間の間隔 、すなわち格子定数が導かれる。
実験的に言えば、入射波と散乱波の差(=散乱ベクトル)を測定することで、その結晶の逆格子ベクトルが分かり、そこから結晶の格子定数が測定できるということである。
特に今は弾性散乱を考えているので であり、すなわち散乱波の結晶面に対する角度を測定するだけで結晶の格子定数が計算可能ということである。
逆格子空間はこのように波(波数)を意味する(フーリエ)空間であり、波の散乱を考える際には非常に便利だということがお判りいただけただろうか。
- ↑ フーリエ係数自体は複素数だが、電子密度 は実関数としている。本来は ~ それぞれに対してフーリエ係数が存在することから と 番目の項の和を実数とする仮定が必要である。しかし、本講座ではこの辺りの議論を省略して と括っている。
- ↑ この説明は物理学的にはあまり正しくない。散乱振幅を考えるべきであるが、直感的な理解の助けとなるようこのような説明とした。