未遂
ここでは、未遂犯の処罰根拠や成立要件、不能犯、中止犯(中止未遂)等を扱います。
未遂等の処罰
編集陰謀・予備・未遂
編集犯罪は、その結果を生じ完了するに至るまでの段階を考えると、計画的犯行であれば、まず何らかの動機により犯罪の実行を決意し、その計画立案・準備をし(陰謀・予備)、犯罪の実行に着手して、それを完成させるものと考えられます。
そして、実際に犯罪が完成し各構成要件において定められている結果が生じた場合、処罰されることとなるのは当然ですが、それを処罰するだけでは不十分であって処罰時期の早期化をすることが要請される場合もあると考えられます。このような要請に応じるため定められているのが、予備罪、陰謀罪、未遂罪の規定であり、これらは基本となる構成要件を修正し処罰を拡張するものです。
構成要件に該当する実行行為に着手したものの、それを遂げるに至っていない段階が未遂であり、これが犯罪となる場合が未遂犯です。これに対して最終的に構成要件に該当する結果が生じて成立する犯罪を既遂犯といいます。処罰時期を早めることは、それだけ国民の行動の自由を制約することともなるのであり、慎重な判断がなされなければならず、現行刑法では未遂犯について一律に処罰するのではなく、個別の未遂犯処罰規定によって処罰するものとしています。
さらに、未遂以前の準備行為である予備については、殺人や強盗などの特に重い罪についてのみ処罰するものと定められており、2人以上の者が犯罪の実行につき謀議するという陰謀の処罰がなされるのは内乱や外患などに限られています。なお、思想信条の自由は憲法上制限なく認められているのであって、単なる決意・思想は処罰の対象となるものではありません。
(参照 w:予備)
処罰根拠
編集未遂(あるいは予備、陰謀)を処罰する根拠としては、主観主義に立つ見解(主観説)と客観主義に立つ見解(客観説)があります。主観主義の立場は、未遂等に至れば、犯罪を実現しようとする行為者の意思・性格の危険性が外部に表れているのであり、未遂犯はこのような危険な行為者を罰するものであるといいます。しかし、単に犯行の意思の表動というのでは未遂と予備、陰謀を区別することができず、また遂行段階によって処罰に軽重が設けられることを説明できず、ほとんど支持されていません。
そこで、行為の有する客観的危険性に処罰根拠を求める客観説が通説となっており、また判例もこの立場に立つものと考えられます。もっとも、客観的危険性の内容についてどのように考えるかは見解が分かれており、これはどのような場合に実行の着手が認められ、未遂犯の成立を認めるべきかということと結びついています。
未遂犯
編集実行の着手
編集43条本文は、未遂を「犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった」ものと定めており、未遂犯の成立が認められるためには犯罪の実行に着手することが必要となりますが、どのような場合に実行の着手を認めるかについては見解の対立があります。
- 形式的客観説
- 形式的客観説は、実行の着手を、構成要件に属する行為(構成要件に該当する行為の一部)を行うことであるという見解であり、そのような行為があれば未遂として処罰してよいと考えるものです。もっともこれでは未遂犯が肯定される時期が遅すぎると考えられ、そのままではこれは支持されておらず、犯行計画や時間的場所的近接性などを考慮して実行行為と接着・密接した行為を行うことでも、実行の着手といえるものと主張しています。
- 実質的客観説
- 実質的客観説は、実行の着手を、結果発生の現実的危険を惹起する行為を行うことと解する見解であり、このような行為があれば構成要件的結果が発生する現実的危険性があって(既遂の危険の惹起)、未遂として処罰してよいと考えるものです。これはさらに、危険とは行為の属性であって、その危険な行為を処罰するものと解する行為犯説と、危険とは既遂の具体的・客観的危険という独自の結果であって、そのような結果を生じさせる行為を処罰するものと解して、未遂犯を一種の結果犯(危険犯)と捉える結果犯説とに分けられます。
行為者の行為と構成要件的結果の発生との間に時間的・場所的間隔が生じる離隔犯の場合、例えば犯人が毒入りの日本酒を郵送する事例を考えると、犯人の行為としては、毒入りの日本酒を郵便局に出した時点で終了しているのであり、行為犯説からするとこれによって未遂の成立が認められると考えられます(発送時説)。一方、結果犯説からすると発送時には未だ危険は生じておらず、被害者に届いてこれを飲むことができるようになって初めて未遂犯が成立するものと考えられます(到達時説)。
しかしこのように結果犯説に立って考えると、実行の着手が認められるときには既に犯人は全ての行為を終えているのであり、文理とは異なることとなります。学説では、未遂の成立時期と実行行為の開始時期とが異なることを正面から認め、危険の発生は実行の着手とは別の未遂犯の成立要件であるという見解や、実行の着手とは時間的な概念であって、行為は結果発生の危険という未遂結果が生じたときに遡って実行行為となるという見解などが主張されています。
なお、見解の分類において、実質的客観説の行為犯説のみを実質的客観説とし、結果犯説は実質的客観説と別のものとして分類するものなどもあり、各見解の分類や内容において完全に一致した理解があるわけではありません。
裁判例
編集実行の着手について判例では、かつては形式的客観説(に修正を加えて密接な行為の着手まで含むというもの)の立場に立つものと解されてきましたが、その後実質的客観説に立つと理解される判決が出され、現在では実質的客観説を採っているものと解されています。
- 最決昭和45年7月28日刑集24巻7号585頁
- 本件は、被告人が夜間、被害者を強姦する意図でダンプカーの運転席に引きずり込み、約5km離れた護岸工事現場において被害者の反抗を抑圧して姦淫したが、引きずりこむ際の暴行で被害者に傷害を負わせており、これが強姦致傷罪となるかどうか、すなわちその時点で既に強姦の実行の着手があったと認められるか否かが争われた事案です。
- 最高裁は、「かかる事実関係の下においては、被告人が同女をダンプカーの運転席に引きずり込もうとした段階において既に強姦に至る客観的な危険性が明らかに認められるから、その時点において強姦行為の着手があったと解するのが相当」であるとして、強姦致傷罪が肯定されるものと判示しました。
- 最決平成16年3月22日刑集58巻3号187頁
- 本件は、殺害を依頼された被告人らが、被害者を自動車内に誘い入れた上、クロロホルムを吸引させて失神させ、約2km離れた港から自動車ごと海中に転落させて溺死させるという計画であったが、実際にはクロロホルムの吸引により死亡していた可能性があったため、殺人罪の成否が争われたという事案です。
- 最高裁は、「第1行為は第2行為を確実かつ容易に行うために必要不可欠なものであったといえること、第1行為に成功した場合、それ以降の殺害計画を遂行する上で障害となるような特段の事情が存しなかったと認められることや、第1行為と第2行為との間の時間的場所的近接性などに照らすと、第1行為は第2行為に密接な行為であり、実行犯3名が第1行為を開始した時点で既に殺人に至る客観的な危険性が明らかに認められるから、その時点において殺人罪の実行の着手があったものと解するのが相当である。また、実行犯3名は、クロロホルムを吸引させて被害者を失神させた上自動車ごと海中に転落させるという一連の殺人行為に着手して、その目的を遂げたのであるから、たとえ、実行犯3名の認識と異なり、第2行為の前の時点で被害者が第1行為により死亡していたとしても、殺人の故意に欠けるところはなく、実行犯3名については殺人既遂の共同正犯が成立するものと認められる。」と判示しました。
また、窃盗の場合について、裁判例では、スリのあたり行為(他人の着衣のポケットなどに外から触れて、金品の有無などを確認する行為)があっただけでは着手は認められないとしたものがあり、また最高裁の判例(最決昭和40年3月9日刑集19巻2号69頁)では、被告人が、「午前零時40分頃電気器具商たる本件被害者方店舗内において、所携の懐中電燈により真暗な店内を照らしたところ、電気器具類が積んであることが判ったが、なるべく金を盗りたいので自己の左側に認めた煙草売場の方に行きかけた」という時点において窃盗行為の着手を認めています。
離隔犯の場合について、裁判例では、毒を混入した砂糖を郵送した事例について、受領時に実行の着手を認めたもの(大判大正7年11月16日刑録24輯1352頁)や、甲を殺害する目的で農道脇に毒入りジュースを置いたところ第三者乙がこれを飲んだという事例について、甲の殺人については実行の着手を認めず殺人予備にとどめたもの(宇都宮地判昭和40年12月9日下刑集7巻12号2189頁)があります。
(参照 w:未遂)
不能犯
編集不能犯とは
編集ある行為が未遂犯として処罰されるには、単に外形的にその行為が構成要件に該当するというだけでなく、構成要件的結果が発生する現実的危険を有するものでなければならず、そのような危険性を有しない行為を不能犯(不能未遂)といいます。不能犯は犯罪を実現する可能性がなく、未遂犯の成立が否定され、犯罪を構成せずに不可罰となります。
不能犯は、以下の三種類に区別することができます。
- 方法の不能
- 方法の不能は、その行為が性質上結果を発生させることが不可能な場合であって、毒薬と誤信して塩化ナトリウムをスープに混ぜて食べさせたような場合を言います。
- 客体の不能
- 客体の不能は、行為の客体が存在しないため結果を発生させることが不可能な場合であって、人であると思って発砲したが雪だるまであったような場合を言います。
- 主体の不能
- 主体の不能とは、行為の主体を欠くために結果を発生させることが不可能な場合であって、公務員でないものが公務員だと誤信したような場合を言います。
危険の判断基準
編集どのような基準により現実的危険性を有する行為として未遂の成立が認められるか、あるいは不能犯として不可罰となるかについては、見解が分かれています。
- 具体的危険説
- 具体的危険説は、行為の時点に立って、一般人の認識可能性を基準として危険を判断するという見解であり、またこの際行為者の認識を考慮に入れるという見解が多数となっています。この具体的危険説が学説の多数説であり、判例においてもこのような立場に立つと見られるものがあります。
- 客観的危険説
- 客観的危険説は、事後的に、危険をより客観的に判断する見解であり、有力に主張されていますが、その内容については様々な見解が主張されています。この内の一つの見解は、実際に存在した事実の代わりにどのような事実があれば法益侵害の結果が発生するかを問い、そのような仮定的事実が科学的一般人の立場から見てどの程度存在しえたかを基準とすると主張しています。なお、客観的に全ての事情を考慮すると、結果が発生しないことには必ず理由があって全て不能となるのであり、客観的危険説はそのような主張をするものではありません。
裁判例
編集裁判例としては、まず方法の不能に関して、殺害するつもりで硫黄粉末を服用させたという事案につき、絶対不能であるとして殺人未遂の成立を否定したもの(大判大正6年9月10日刑録23輯999頁)、覚せい剤製造に用いた主原料が真正のものでなかったため結果発生の危険は絶対に存しないとして覚せい剤製造未遂の成立を否定したもの(東京高判昭和37年4月24日高刑集15巻4号210頁)、殺意をもって静脈内に空気を注射したが量が不足していたという事案につき、「本件のように静脈内に注射された空気の量が致死量以下であっても被注射者の身体的条件その他の事情の如何によっては死の結果発生の危険が絶対にないとはいえない」として殺人未遂の成立を肯定したもの(最判昭和37年3月23日刑集16巻3号305頁)などがあります。
客体の不能については、通行人から財物を奪取しようとしたところ所持していなかったという事案について、通行人が懐中物を所持することは普通予想し得べき事実であるので結果発生の可能性があるとして強盗未遂の成立を認めたもの(大判大正3年7月24日刑録20輯1546頁)、殺意をもって日本刀で突き刺したが既に死亡していたという事案について、被害者の生死については専門家の間においても見解が分かれるほど医学的にも生死の限界が微妙な案件であるから、単に被告人が加害当時被害者の生存を信じていたというだけでなく、一般人もまた当時その死亡を知り得なかったであろうこと、従って又被告人の前記のような加害行為により被害者が死亡するであろうと危険を感ずるであろうことはいづれも極めて当然というべく、係る場合においては被告人の加害行為の寸前に被害者が死亡していたとしても、行為の性質上結果発生の危険がないとはいえないとして、殺人未遂を認めたもの(広島高判昭和36年7月10日高刑集14巻5号310頁)があります。
(参照 w:不能犯)
中止犯
編集総説
編集未遂犯のうち、犯罪の実現が不完全に終わった原因が行為者の自由な意思に基づく場合、刑罰の必要的減免という特別の効果が認められます43条但書)。なお一般の未遂犯はこれと区別する場合、障害未遂といます。中止犯も未遂犯の一種であり、それに含まれる犯罪は別途成立しないと考えられます。例えば殺人の中止未遂となる場合、すでに相手方に傷害が発生していても傷害罪は成立せず、また殺人予備罪なども成立しません。
刑の減免の根拠
編集中止した場合に刑が減免される根拠としては、以下のものがあります。
- 刑事政策説
- 刑事政策説は、中止による減免は違法・責任といった犯罪論体系を超えた政策的なものと考えます。未遂にまで至った犯罪者に、「後戻りのための黄金の橋」をかける、あるいは刑罰目的における一般予防・特別予防の効果に着目して定められたものと説明されます。
- これに対しては、この制度を知る犯罪者にしか効果がないのではないか、また違法・責任も刑罰を基礎づける要素であって、やはり犯罪論体系内での説明を追及すべきではないかと批判されます。
- 違法減少説
- 違法減少説は、行為者による故意(=犯罪遂行意思)の放棄・結果発生の防止があることで、違法性が減少・消滅したことを根拠とします。
- これに対しては、結果無価値の立場からは、そもそも故意は違法要素ではないと主張され、また、中止しなかった他の共犯者について、中止の効果が連帯的に作用することにならないかということや、これでは任意性が求められる理由が十分説明できない(任意でなくとも違法は減少するということになるのではないか)として批判されます。
- 責任減少説
- 責任減少説は、任意に犯罪を中止したことで、責任が減少・消滅したことを根拠とします。
- これに対しては、未遂段階でのみ中止を認める理由が説明できない、また中止行為に危険の減少・消滅を要求する理由を説明できない(責任減少であれば、実際に危険が減少・消滅しなくとも認められるはずである)として批判されます。
- 違法・責任減少説
- 違法・責任減少説は、中止未遂の成立に求められる、「中止行為」と「任意性」の両者を基礎づける減免根拠を構成するものとして、違法及び責任の両方が減少・消滅したことを根拠とします。
また、以上の違法や責任が減少するとの説につき、そもそも既に成立した犯罪の違法・責任は事後の行為によって減少・消滅するものではないとの批判がなされており、結局、未遂犯が成立している以上、違法や責任の減少だけで説明するのは困難があることから、違法や責任の減少と政策的判断との双方を根拠とする、見解が多数を占めています。
犯罪の中止
編集犯罪を中止したと言い得るための客観的要件として、行為者が中止行為により結果惹起の危険を消滅させたことが必要となります。また、中止故意(中止事実の認識)については、その位置付けを任意性の内容とすることも考えられますが、中止行為にも位置付けられます。
従来は、実行行為がまだ終了していない場合(着手未遂・着手中止)には後の行為の不作為で足り、すでに終了した場合(終了未遂・実行中止)には結果発生阻止に向けた作為が必要と解されていました。現在でもこのような見解もないわけではなく、その場合には実行行為の終了時期がいつであるかということが決定的に重要となります。
しかし現在では、中止が問題となる時点において、実行行為の終了時期によるのではなく、因果の進行に委ねれば結果発生に至る場合であるか、行為の続行が必要かつ可能な場合であるかによって区別し、それぞれ前者であれば作為が必要であり、後者であれば不作為で足ると解するのが一般的な見解となっています。
なお、前者の場合、第三者の協力を得たとしても中止犯は当然に排除されるものではありませんが、判例では犯人が結果防止にあたったと同視し得る「真摯な努力」を必要としています。もっともこれについては、真摯性は過度の要求であり、積極的な努力や適切な努力で足るとの見解も主張されています。
中止行為は、存在する既遂可能性(構成要件実現の危険)を減少・消滅させうるものでなければなりません。その判断方法は不能犯の判断の裏返しとなると考えられます。すなわち、既遂可能性がないのであれば不能犯となり中止は不可能で、既遂可能性があるのであれば不能犯ではなく中止可能となるのであって、不能犯とは評価されないが中止することも不可能という領域が生じるのは整合的ではありません。
中止行為と未遂との因果関係については、中止行為により未遂となったことを求める必要説が判例・多数となっていますが、結果の不発生で足り、因果関係までは不要とする見解も主張され、因果関係を必要とする見解の中にも、中止の前提として、未遂犯の成立と既遂に至る可能性の存続が必要となりますが、既遂に至る可能性が中止時点で既にない場合(欠効未遂・失効未遂と呼ばれます。例えば毒を飲ませた相手が苦しんでいるのを見て、殺すのを中止しようと思って病院に運んだが、そもそもその毒で死ぬことありえなかった場合など。)や、中止後に第三者によって結果惹起が阻止された場合について、中止の際の取扱いの均衡などから43条但書を準用して必要的減免を認める見解がある一方で、取扱いの均衡は決め手にならないとして、このような減免を否定する見解も主張されています。
中止故意は、既遂に至る可能性の存続と、自己の不作為または作為による危険減少・消滅という客観面に対する認識であると考えられます。
任意性
編集「自己の意思により」中止されること、すなわち任意性は、犯罪故意の放棄や中止故意にとどまるものではなく、自己の意思によることを要求するものです。
その判断基準については、行為者の中止動機に着目する見解と、行為者の認識事情を基礎とした犯罪の続行可能性により判断する見解とがあり、また判例は両方の基準を併用するものと考えられます。
- 中止動機に着目する見解
- これは伝統的な見解であり、倫理的な中止動機に基づく中止、すなわち後悔、同情、憐憫など、広義の悔悟による中止が必要という見解です。これに対しては、通常量刑事情にとどまる動機まで特に要求するのは過剰ではないかと批判されます。
- 犯罪の続行可能性に着目する見解
- 行為者標準説(主観説) -- 行為者の主観においてできるのにやめたか、できないからやめたかを基準とする見解。
- 一般人標準説(客観説) -- 行為者の認識した事情が経験上一般に犯行の障害となるようなものか否か、を基準とする見解。
中止と予備罪
編集予備罪が成立する場合においては、予備罪は未遂犯の前段階に当たること、実行段階に入って中止すれば減免が受けられることとの均衡などを根拠に、43条但書の準用ないし適用を認めるのが通説となっています。これに対し、中止規定の適用・準用に反対する説も主張されています。また、これを肯定する見解においても、43条但書による減軽の対象には相異がみられ、予備罪の法定刑を減軽するものと、既遂罪の法定刑を減軽するもの、43条但書の準用からは刑の免除のみ認めるものがあります。
判例(最大判昭和29年1月20日刑集8巻1号41頁など)は、大審院の時より一貫してこれを否定しています。
(参照 w:中止犯)