ここでは、共犯の各類型及び共犯に関する各論的な問題について扱います。

この講座は、刑法 (総論)の学科の一部です。前回の講座は共犯1、次回の講座は罪数です。

共同正犯

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共同正犯は、「二人以上共同して犯罪を実行した」場合に成立し、すべて正犯とされます(60条)。これは、一部行為の全部責任を認めるものであると解されます。もっとも、どのような場合に共同して犯罪を実行したと考えるかは諸説あります。

共同正犯は、実行行為を実際に分担した実行共同正犯と、実行行為を分担しない共謀共同正犯とにわけられ、実行共同正犯だけを共同正犯として考える形式的正犯概念を採る見解もかつては多数でした。しかし判例は共謀共同正犯も共同正犯としており、学説でも、その寄与・役割の重要性などから実質的に正犯と認められるか否かによって、共謀共同正犯として認められる場合もあるという見解が多数を占めます。また共同正犯は狭義の共犯と異なり、むしろ1次的な責任類型に属するものであるから、共犯の従属性は問題とならないともいわれます。もっとも、そのように考えた場合でも罪名従属性とは同様の問題は生じます。

教唆・幇助の共同正犯

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判例では、教唆の共同正犯(最判昭和23年10月23日刑集2巻11号1386頁)や、幇助の共同正犯(大判昭和10年10月24日刑集14巻1267頁)を肯定しています。また学説上もこれを肯定する見解も主張されます。これに対し、このような見解は、60条の「犯罪」に教唆・幇助も含まれるという理解を前提としたものと言えるが、そうすると共犯処罰の限定性が失われることにもなるとして、成立を疑問とする見解も主張されています。

過失犯の共同正犯

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過失判に共同正犯が成立しうるものかについて、大審院時代には、過失犯の共同正犯は成立する余地はないとされていましたが、最高裁判所の判例では過失犯の共同正犯の成立も認められました(最判昭和28年1月23日刑集7巻1号30頁(共同して飲食店を経営するA・Bについて、甲から仕入れたウィスキーと称するメタノールを含有する液体を、不注意で何ら検査せずに販売したという事案に関し、有毒飲食物等取締令4条1項後段の過失犯の共同正犯の成立を認めたもの)など)。

これに対し学説は、以下のように分かれています。

  • 共同正犯が成立するためには相互に他人の行為を利用・補充しあうという意思とその事実があれば足りるとし、過失犯の共同正犯の成立を肯定する見解。
  • 共同の注意義務が認められる場合に、共同義務の共同違反として、構成要件該当事実の客観的共同惹起について過失が認められる限度で過失犯の共同正犯が成立するという見解(なおこの場合の共同の注意義務とは、自己の行為からだけでなく他の行為からも構成要件的結果が生じないよう配慮する、あるいは自ら注意義務を遵守するだけでなく他の共同者にも遵守させるべき義務であることが内容となる。)。
  • 犯罪共同説から、過失犯は無意識を本質とする以上意思の連絡を基礎とした共同実行の意思を認めることは出来ないとする。また、共同義務がある場合には、その過失による違反として、過失の同時犯に解消し得るという見解。

過失の共同正犯を認めた場合には、個別に過失犯として責任を問う場合と比べて、どちらの過失により結果が発生したか、その因果関係が判らない場合にも共同正犯として両者に責任を問うことができるという利点があります。

また、結果的加重犯については、判例(最判昭和22年11月5日刑集1巻1号1頁、最判昭和26年3月27日刑集5巻4号686頁など)は基本となる犯罪と重い結果との間に条件関係が認められ得る限り結果的加重犯の成立を認めており、学説では、これを否定する見解もあるものの、過失犯の共同正犯を認めない見解からも結果的加重犯の共同正犯については肯定するのが一般的です。

承継的共同正犯

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承継的共同正犯とは、ある者(先行者)が特定の犯罪の実行に着手し、未だ実行行為が全部終了しない時に、他の者(後行者)がその事情を知りながらこれに関与することで、先行者と意思を通じて残りの実行行為を単独で、あるいは先行者と共同で行って犯罪を完成したものについてどのように考えるかという問題です。例えば、銀行強盗をしようとしたAが暴行・脅迫をして銀行員などの反抗を抑圧し終えたところで、Bがやってきて金銭の窃取に参加した場合、Bは窃盗罪とするのか、あるいは強盗罪とするのかということが問題となります。

共同正犯を全面的に肯定する見解は、共同実行の意思の下に一罪の一部に関与した以上、一個の犯罪は一罪として不可分であるから、先行者の行為と後行者の行為を全体として考察し、全体の共同正犯として認めるべきであるとします。これは、かつての判例の立場と考えられますが、自ら関与していない行為についても全面的に共同正犯として責任を問うというこの見解は現在では支持されていません。

そこで、一部肯定説(中間説、部分的肯定説などとも)は、後行者が先行者の行為や結果を自己の犯罪遂行の手段として利用した場合には、後行者にも関与前の行為や結果について責任を問いうる、あるいは、先行者の行為の結果について因果性を有する場合には、それについては責任を負わせ得るなどといいます。

また、関与以前の先行者の行為については後行者の行為が因果性を持つことはありえず、承継的共同正犯は認めるべきでないとの、承継的共同正犯否定説も主張されています。

共同正犯と違法性阻却事由

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違法性阻却事由の問題については、共犯についても共同正犯についても問題となりますが、共犯では要素従属性が問題となるのに対して、共同正犯ではそれは問題とならないという点で相違があります。

判例(最決平成4年6月5日刑集46巻4号245頁)は、共同正犯の事例に関して、「共同正犯が成立する場合における過剰防衛の成否は、共同正犯者の各人につきそれぞれその要件を満たすかどうかを検討して決するべきであって、共同正犯者の一人について過剰防衛が成立したとしても、その結果当然に他の共同正犯者についても過剰防衛が成立することになるものではない」として、現実の侵害行為を行った者には急迫不正の侵害の存在を認めて過剰防衛の成立を肯定しながら、現実の侵害行為を行っていない共同者については、積極的加害意思の存在を理由に過剰防衛の成立を否定しています。

教唆犯

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教唆

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教唆犯とは、人を教唆して犯罪を実行させたもの(61条1項)をいい、教唆犯が成立するためには、(共犯独立性説を除き)教唆者が人を教唆することと、それに基づいて被教唆者が犯罪を実行することが必要です。

教唆は、特定の犯罪を実行する決意を生じさせるものであり、「人殺しをやれ」というような漠然と犯罪を唆すだけでは足りないと考えられます(最判昭和26年12月6日刑集5巻13号2485頁参照)。もっとも、日時・場所などまで具体的に指示する必要はありません。また、相手方は一人でなくともよいものの特定の者であることは必要であり、不特定者を相手方とする場合には教唆でなく煽動となります。

この他、どのような場合に教唆をしたと言い得るかについては、いくつかの点で見解が分かれています。

教唆の故意

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どのような場合に教唆の故意が認められるかについては、以下の見解があります。

  • 自己の教唆行為により被教唆者が特定の犯罪を実現することを決意し、実行に出ることを認識(認容)することであるという見解。これは、教唆は他人を教唆して犯罪を実行させることを言うから、実行を決意しその実行行為にいたることの認識があれば足りるのであり、結果の発生を認識していなかった場合に教唆不成立により不可罰となるのは妥当でないと考えるものです。
  • 被教唆者の行為に基づいて、基本的構成要件の実現すなわち犯罪的結果の発生を認識する必要があるとする見解。これは、犯罪の故意とは法益侵害結果の認識であり、因果共犯論の立場からは結果の認識まで必要であると考えるものです。

また、未遂の教唆、つまり教唆者が被教唆者の実行行為を未遂に終わらせる意思で教唆した場合については、以下の見解があります。

  • 不可罰とする見解。
  • 未遂罪の教唆犯とする見解。

なお、犯人として処罰を受けさせる目的で初めから未遂に終わらせることを予期して一定の犯罪を教唆するものを、アジャン・プロヴォカトゥール(agent provocateur 元は他人を犯罪に陥れることを職業とする警察の手先)といいます。

被教唆者の犯罪行為

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教唆したものの被教唆者が実行に至らなかったような場合には、教唆の未遂となり、共犯独立性説の立場からは未遂犯として処罰され得ますが、共犯従属性説の立場からは、教唆犯は成立しません。これについては前回の講座も参照してください。

また、一般的に共犯従属性説の立場からは、既に被教唆者が犯意を有していた場合には、教唆犯は成立せず、教唆行為による幇助犯の成立(心理的幇助の有無)が問題となると考えられます。

間接教唆・再間接教唆

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教唆者を教唆した場合を間接教唆といい、間接教唆者を更に教唆することを再間接教唆といいます。再間接教唆及びそれ以上の間接教唆を連鎖的教唆(順次的教唆)といいます。間接教唆は、教唆犯と同様に正犯に準じて処罰されます(61条2項)。

連鎖的教唆については、これを教唆犯として認めないとの見解も主張されていますが、判例及び多数説は、61条2項の教唆者には教唆者を教唆するもの(及びそれ以上のもの)をも含むものと解して、教唆犯とすることをこれを肯定します。もっとも、間接教唆者を介して教唆者を教唆したという限りにおいて61条2項の適用によりその可罰性を認め得るとする見解や、61条1項によりこれを肯定する見解も主張されています。

幇助犯

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幇助

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幇助犯とは、正犯を幇助した者をいいます。幇助とは、正犯者でないものが正犯の実行を容易にさせることであり、幇助犯が成立するためには、幇助者が正犯を幇助することと、(共犯従属性説から)それに基づいて被幇助者が犯罪を実行することが必要です。

刑法上の幇助とは、実行行為以外の行為によって正犯の実行行為を容易にする行為をいいます(最判昭和24年10月1日刑集3巻10号1629頁)。ただし、一般に幇助行為というためには、正犯の実行に必要欠くべからざる行為であることまでは要しないとされています。幇助の方法は、物理的方法であると精神的方法であるとを問いません。物理的方法による場合を物理的幇助犯といい、精神的方法による場合を精神的幇助犯といいます。教唆犯と同様、幇助の相手方は、特定の者であることを要します。

幇助の故意については、教唆の故意と同様の見解の対立があり、また未遂の幇助についても同様です。

間接幇助など

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判例(最決昭和44年7月17日刑集23巻8号1061頁)は、間接幇助につき正犯を間接に幇助したことを理由に、可罰性を肯定しています。また、学説上もこれを認める見解が多数となっています。もっとも、間接幇助行為が専ら幇助行為を容易にすることにしか役立っていない場合には、「正犯を幇助した者」とは言えず、幇助犯として処罰することはできないとの見解も主張されています。

一方、教唆の幇助などについては、見解は分かれています。

片面的共犯

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片面的共犯とは、共犯者・共同正犯者が、正犯または他の共同正犯者に対して、意思の連絡無く一方的に加功・関与するという関与形態を言います。このように物理的因果性は肯定し得るものの心理的因果性に欠ける場合について、共同正犯や共犯として認め得るかが問題となります。

片面的共同正犯

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判例(大判大正11年2月25日刑集1巻79頁など)では、共同正犯については相互の意思連絡が必要であり、片面的共同正犯は成立しないとしています。一方学説では、これを肯定する説と否定する説との両説が主張されています。

  • 物理的因果性が認められる以上、構成要件該当事実を他の共同者と共に惹起する関係を認めることができるとして、共同正犯が成立するという見解。
  • 共同実行の意思がない以上は共同正犯が成立する余地はなく、同時犯(ないし間接正犯)ないし片面的幇助犯に過ぎないと言う見解。

片面的教唆犯

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教唆者は教唆の故意に基づき教唆行為を行ったが、被教唆者はその教唆行為を教唆行為として認識せずに犯罪の実行を決意する場合を片面的教唆犯といいます。これについても、肯定・否定の両説が主張されますが、片面的共同正犯と同じ結論となるわけではありません。

  • 共同意思主体説の立場から、共犯者間の意思の連絡を必要と解して、片面的教唆犯は認められないとする見解。
  • 教唆によって犯罪の実行を決意させれば足り、被教唆者が教唆されているという事実を認識することまでは必要でないため、片面的教唆を認めるべきという見解。こちらが多数と考えられます。

片面的幇助犯

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片面的幇助犯とは、幇助者は幇助の故意に基づき幇助行為を行ったが、被幇助者はそれを幇助と認識せずに犯罪を実行することをいいます。これについても、片面的教唆と同様の見解の対立があります。

  • 片面的幇助犯は認められないという見解。
  • 正犯の実行行為を容易にすることは幇助を受けているという認識がなくとも可能であり、また62条の解釈からも、意思の連絡を要求してはいないと解され、片面的幇助犯が認められるという見解。

不作為による共犯

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不作為による共犯とは、共犯者が不作為により、正犯者・共同正犯者に対し加功・関与するというものです(不作為犯に対する共犯とは異なります)。例えば警備員が窃盗犯と組んで、窃盗を見逃す代わりに分け前を得るような場合が考えられます。

不作為に寄る共犯は一般的に肯定されていますが、その場合に求められる作為義務(保障人的地位)については見解が分かれており、一方では、教唆や幇助には正犯性が不要であり、共同正犯についても拡張された正犯性で足りるのであるから、単独正犯としての罪責を基礎付けるものと異なりより緩やかなもので足りるとの見解が主張されています。

他方では、不作為による共犯の作為義務も不作為正犯のそれと同様の基準によって判断されるべきとする見解も主張されており、確実に結果回避可能であれば不作為の共同正犯や同時犯、結果発生を困難にした可能性があれば不作為の幇助犯となり、また正犯性を肯定することができない場合には共犯にとどまるなどとの主張もなされています。

なお、不作為犯に対する共犯は、不作為犯の作為義務(保障人的地位)を身分と解する場合、後記の共犯と身分の問題と同様に扱われると考えられます。

不作為による幇助

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裁判例(大判昭和3年3月9日刑集7巻172頁、札幌高判平成12年3月16日判時1711号170頁など)ではこれが認められています。

また、他人の犯罪行為を認識しながら作為義務に反して不作為にとどまる行為は、その犯罪行為を容易にするなどとして、学説上もこれを肯定するのが多数となっています。

不作為による共同正犯

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共同正犯が成立する範囲については、以下の見解があります。

  • 共同者各自が作為義務を有する場合にのみ共同正犯の成立が認められるという見解。
  • 作為義務を有しない者も作為義務を有する者と共同して作為義務違反の不作為を実現できるとして、そのような場合にも共同正犯の成立を認める見解。

共犯と身分

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身分犯

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判例(最判昭和27年9月19日刑集6巻8号1083頁)によれば、刑法上の「身分」とは、男女の性別、内外国人の別、親族の関係、公務員としての資格などに限らず、一定の犯罪行為に関する人的関係である特殊の地位または状態のすべてをいうものとされています。これに対し、学説上、身分に含まれるか否か、特に「目的」について争いがあります。

  • 肯定説は、目的も犯罪行為に関する人的関係としての特殊な状態である、などとして目的も身分に該当するといいます。
  • 否定説は、身分は一定の継続性を前提とする概念であるから、目的のような一時的な主観的事情は含まれない、などとして否定します。

判例(最判昭和42年3月7日刑集21巻2号417頁)では、麻薬輸入材における営利の目的を身分としています。

身分の分類

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違法身分
身分が行為の違法性の要素となっているもの。当該犯罪の処罰根拠となる法益侵害を惹起しうる地位などと説明されます。
責任身分
身分が行為の責任の要素となっているもの。法益侵害惹起についての責任を加重・減軽するものなどと説明されます。

以上については、双方にかかわる違法・責任身分もあり得ると考えられます。また、身分犯は次のように分類されます。

真正身分犯(構成的身分犯)
真正身分犯とは、身分を有することによりはじめて可罰性が認められる犯罪のことです。収賄罪・偽証罪などがあります。
不真正身分犯(加減的身分犯)
不真正身分犯とは、身分がなくとも犯罪を構成するが一定の身分があるため通常より重い刑や軽い刑が法定されている犯罪のことです。業務上堕胎罪などがあります。

また、無免許運転罪などにおける、免許を有しないという消極的な身分を、消極的身分犯といいます。

65条の解釈

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65条1項は、「犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のないものであっても、共犯とする」と定め、65条2項は、「身分によって特に刑の軽重があるときは、身分のないものには通常の刑を科する。」と定めています。ここで、この両規定をどのように理解するかが問題となります。1項では身分の連帯的作用を定めている一方で、2項では身分の個別的作用を定めており、1項は共犯従属性説に、2項は共犯独立性説になじむ、矛盾した関係にあるのではないかとも考えられます。

学説は以下に大別されます。

  1. 1項を真正身分犯についての身分の連帯的作用を、2項は不真正身分犯についての個別的作用を規定したものというもの。判例(大判大正2年3月18日刑録19輯353頁など)もこの立場に立つと考えられており、多数説といえます。これに対して、その実質的根拠が明らかにされていないとの批判がなされます。
  2. 65条は、違法性は連帯的に、責任は個別的に考えられるという原理に基づく規定であるとして、1項は違法身分の場合の違法の連帯性を、2項は責任身分の場合の責任の個別性を定めたものと解するもの。これに対して、違法身分と責任身分の区別は真正身分犯・不真正身分犯の区別と完全には対応しておらず、また区別も困難であるとの批判がなされます。なお、この見解に立つものの中には、そもそも身分犯の分類について、違法身分は全て真正身分犯であり、責任身分はすべて不真正身分犯であるという見解もあります。
  3. 1項は身分犯を通じて身分犯における共犯の成立について定めた規定であり、2項は、特に不真正身分犯について科刑の個別的作用について定めた規定であるというもの。これに対しては、犯罪の成立と科刑とが分離するのは妥当でないとの批判がなされます。

65条の適用範囲

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65条1項が共同正犯にも適用され得るかについては、学説には真正身分犯には非身分者に共同実行はあり得ないとして、65条1項の適用を否定する見解(この場合、不真正身分犯については共同実行はあり得るとする)もありますが、判例(大判昭和9年11月20日刑集13巻1514頁など)は共同正犯にも65条の適用を肯定しており、学説上もこれを認めるものが多数となっています。

また、不真正身分犯において、身分者が非身分犯に加功した場合に、65条2項の適用があるか否かについても見解が分かれています。65条2項の適用を肯定する見解もある一方で、65条2項の適用を認めることは、共犯独立性説の立場においてのみ可能であり、従属性を否定・緩和する根拠も明らかではないとして、これを否定する見解も主張されています。

大審院の判例(大判大正3年5月18日刑録20輯932頁)では、賭博常習者が非常習者の賭博行為を幇助した事案につき、常習性が教唆あるいは幇助として発現した場合は、65条2項の趣旨により常習賭博罪の幇助の成立を肯定しています。

共犯と錯誤

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これは、共犯や共同正犯者が認識・予見した事実と、正犯又は他の共同正犯者が実現した構成要件該当事実が異なる場合に、いかなる犯罪が成立するかという問題です。特に共犯や共同正犯者の認識・予見した以上の犯罪が実現された場合を、共犯の過剰と呼ぶことがあります。例えばAを殺すと言っていたので拳銃を渡したところ、正犯が誤ってBを殺してきたような場合や、Aを傷害すると言っていたので包丁を渡したところ、殺人をしてきたような場合です。

教唆・幇助と錯誤

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具体的事実の錯誤

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具体的事実の錯誤、すなわち同一構成要件内での客体の錯誤、方法の錯誤(打撃の錯誤)及び因果関係の錯誤が問題となりますが、これについては、基準は単独犯の場合と同様です。そこで、法定的符合説(抽象的法定符合説)からは、具体的事実の錯誤は重要でなく、故意は否定されません。

具体的符合説(具体的法定符合説)からは、正犯に方法の錯誤があれば共犯には故意は認められません。一方、正犯に客体の錯誤がある場合には、共犯にも故意が認められるとする見解が多くなっています。このような処理については、客体の錯誤の場合についても、共犯にとっては方法の錯誤となるはずとした上で、不可罰となるのは妥当でない、との批判もなされます。

抽象的事実の錯誤

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抽象的事実の錯誤、すなわち異なった構成要件にまたがる錯誤についても、単独犯の場合と同様に考えられることとなります。

そこで、一般的には、正犯が実現した構成要件該当事実と共犯が認識・予見した構成要件該当事実が構成要件において実質的符号が認められる必要があると考えられます。そして、正犯が実現した構成要件該当事実の方が共犯の認識・予見よりも重い場合、共犯の認識した軽い罪の共犯が成立します(最判昭和25年7月11日刑集4巻7号1261頁)。これに対し、正犯が実現した構成要件該当事実の方が共犯の認識・予見より軽い場合、正犯の実現した軽い罪の共犯が成立します。また、判例によれば正犯が実現した構成要件該当事実が共犯の認識・予見と同様の重さであれば、正犯の実現した罪の共犯が成立すると考えられます。

一方、結果的加重犯については、以下の諸説があります。

  1. 重い結果が発生した以上、結果的加重犯の共犯が成立するという見解。
  2. 共犯行為は実行行為ではなく、基本的犯罪の共犯にとどめるべきという見解。
  3. 重い結果の惹起につき過失が認められる限りにおいて、結果的加重犯の共犯が成立するという見解。

これには、罪名従属性の理解や結果的加重犯に過失を必要と解するか否か(学説の多数は過失を必要とします)などが影響しています。

共同正犯と錯誤

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共同正犯についても、基本的には教唆・幇助の場合と同様です。そして、罪名従属性(と同様)の問題が関連し、共同実行の成否や範囲が問題となります。

関与類型間の錯誤(例えば教唆の故意で幇助を行ったなど)の場合、教唆、幇助、共同正犯の間には、同一構成要件該当事実惹起の行為類型であるから、これらの間では実質的に軽い惹起類型の限度で構成要件の実質的符号が認められ、その限りにおいて犯罪の成立が肯定できると考えられます。

間接正犯と共犯の間の錯誤(例えば医師が毒を看護士に渡したところ、看護士はそれに気づいたが殺意を持ってそのまま患者に投与したような場合)については、以下のような見解があります。

  • 医師には間接正犯、看護士には直接正犯の成立を認める見解。
  • 教唆と間接正犯の重なり合いを認めて、医師には教唆犯、看護士には直接正犯の成立を認める見解。
  • 医師は正犯としての実行の着手を認めるとともに教唆犯も成立して法条競合となり、看護士には直接正犯の成立を認める見解。

共犯関係からの離脱

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離脱

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因果共犯論からは、共犯は自己の共犯行為と因果関係を各構成要件該当事実について共犯としての責任を問われることはありません。そこで、一旦共犯行為が行われても、その共犯行為が有する犯罪促進効果が除去されが後で生じた構成要件該当事実について、その間に因果関係が存在しなくなれば、共犯関係からの離脱・共犯関係の解消が認められ、共犯としての責任を負うことはないと考えられます。

そこで、着手前の離脱であれば、(予備罪は別とすると)刑事責任が生じることはなく、着手後であっても既遂前であれば、未遂の限度で共犯が成立します(なお離脱が自己の意思による場合には、中止犯ともなり得ます)。もっとも、離脱前の共犯関係が離脱によって解消した場合、新たな共犯関係ないし犯意が成立したといえるかどうかが問題とされるべきものであり、物理的・心理的因果性を重視して共犯からの離脱を判断する立場は妥当でないとの見解も主張されています。

着手前の離脱

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裁判例(東京高判昭和25年9月14日高刑集3巻3号407頁)では、実行の着手前に翻意して離脱の意思を表示し、それを他の共犯者も了承した場合に共犯関係からの離脱が肯定されており、また他の裁判例(福岡高判昭和28年1月12日高刑集6巻1号1日)では、離脱の意思を明示的に表示しなくとも、他の共犯者がそれを認識しながら犯行を続行した場合には、離脱の黙示の意思が受領されたとして離脱を肯定しています。

このように、離脱が他の共犯者に了承された場合には、心理的因果性が存在しなくなると考えられます。ただ物理的因果性が認められる場合には、それも切断する必要があり、例えば数人で窃盗を計画し、一人が銀行の金庫の合鍵を提供したような場合には、当該共犯者が離脱するためにはその合鍵を取り戻すことなどが必要となると考えられます。

また、首謀者については、単なる離脱ではなく共謀関係がなかった状態に復元させることが必要(松江地判昭和51年11月2日刑月8巻11=12号495頁)と言われています。

着手後の離脱

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着手後の離脱については、行為者の行為とは独立して結果にいたる因果経過が設定されていることがあるため、その場合にはそのような効果を解消することが共犯関係からの離脱・解消を認めるためには必要となります。

最決平成元年6月26日刑集43巻6号567頁
本件は、XとYとが共謀してAをX方に連行して暴行を加え、Yが「おれ帰る」といって立ち去った後、Xが更に暴行を加えて、Aは死亡したが、死の結果がYが帰る前の暴行によるか後の暴行によるのか不明であるという事案です。
最高裁は、「Yが帰った時点ではXにおいてなお制裁を加えるおそれが消滅していなかったのに、Yにおいて格別これを防止する措置を講ずることなく、成り行きに任せて現場を去ったに過ぎないのであるから、Xとの間の当初の共犯関係が右の時点で解消したということは出来ず、その後のXの暴行も右の共謀に基づくものと認めるのが相当である」とした上で、仮にAの死の結果がYが帰った後の暴行によって生じていたとしても、Yは傷害致死の責を負うと判示しました。

また、当初正当防衛として犯罪行為が行われた場合に、離脱の問題となるものかどうかが問題となったものとして、以下の判例があります。

最判平成6年12月6日刑集48巻8号509頁
本件は、正当防衛として暴行を共同して行い、相手方の侵害が終了した後においても一部の者が暴行を続けたという事案です。
これについて最高裁は、「後の暴行を加えていない者について正当防衛の成否を検討するに当たっては、侵害現在時と侵害終了後とに分けて考察するのが相当であり、侵害現在時における暴行が正当防衛と認められる場合には、侵害終了後の暴行については、侵害現在時における防衛行為としての暴行の共同意思から離脱したかどうかではなく、新たに共謀が成立したかどうかを検討すべきであって、共謀の成立が認められるときに初めて、侵害現在時及び侵害終了後の一連の行為を全体として考察し、防衛行為としての相当性を検討すべきである。」として、全員を過剰防衛とした原判決は是認できないとして、後の暴行を加えていない者については正当防衛が成立すると判示しました。