無政府主義ならぬ無経済主義というものを考えてみよう。例えば「勤労者には休息もプライベートも給料すらも赦すな。全体奉仕以外させるな。その場合において無職である我々も正しいのだ」と主張したらどうなるか。

このように反資本主義というよりは反経済を考えてみると、共産主義は無経済よりはマシという程度でしかないことが見えてくる。曰く、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取ることができる」。個人的に、お金を得るためのアクティビティが(マルクスが言うところの)唯物的なのはわかるような気がするが、大事なものは別にお金だけとも限らない。

第3の道もある。プラウト主義である。

プラウトによる社会ピラミッド

プラウトは資本主義も共産主義もどちらも中央集権的であるとし、分権経済を説く。プラウトはボトムアップの思想である。プラウトは新規の一般論(トップダウン)ではなく、旧来のものの特殊な変化(ボトムアップ)を尊ぶ。